帰農塾 参加者 レポート 
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
5月25日〜27日 里山帰農塾 春 実りを描く 
 
2007.5.27 更新日 2007.6.27

 「農」にこだわる 2009.3.3 変更
 PN.新羅津河

 「農」の意味をつらつら考えてみると、首をかしげたくなることがある。鋤や鍬で土を起こすのであれば「耕」の字がある。江戸時代には、「農家」という言葉はなかったと言う人がいる。当時は「百姓」で括られ、「百姓」とは一般諸民という意味であり、当時はほとんどの日本人が土を耕していた。武士ですら、下級武士の多くは畑仕事をして家計の足しにしていたと言われている。日本人のDNAには土を耕すことが染み着いているのであろうか。都市化した現代でも、このDNAはそう簡単に日本人から消えていないと思う。今回の塾で聞いた話の中で、30代の多くの若者が農村に帰ろうとしている事実からも、そのことがうなずける。
 話を「農」に戻すと、私は「農」=「エコ」ではないかと思う。今は「エコ」を「環境」の意味で使用する傾向にあるようだが、「エコ」は「エコノミー」にも架かっているので「営み」や「生活」の意味も含まれていると考えれば、「エコ」には「農」を当てるのが相応しいように思う。田舎に住もうとする若者もそのことを直感しているのではないだろうか。
 「エコ的生活」は「農的生活」ともいえるし、土を耕すことを取り入れた生活は、色々な意味で生活を豊かなものとし、結果的に環境にも人にもやさしい生活となると思う。
 宮崎駿アニメの「天空の城ラピュタ」の中の一場面に、主人公の少女シータが「人は土から離れては生きていけない」と叫ぶシーンがある。現代における「天空の城」の高層マンションから逃げ出し、土に足をつけた生活に回帰しようと試みる若者がこれからも続々と続き、新しい農のルネッサンスが、さらに盛り上がることを期待している。私も微力ながらそのお手伝いが出来るようになりたい。残りの3回の塾にも参加し、更に考を深めて行きたいと思う。
 「良き水土を子孫へ!」
 「未来は水土に聴け!」

 「帰農塾に参加して」
 Y.T

 第二の人生を悔いなく充実した生活にしたいと思い、この一年ほど前より今までとは価値の違う新たな生活を模索しているところです。今までの長年の都会生活、会社人生の中で、便利さ、効率の良さ、お金さえ出せば美味しいものが食べられ、欲しいものが手に入る豊かさに価値を置き追求してきた感があります。しかし本当はもっと素晴らしい価値が人間とし、大自然の中にあるのではないかと最近考え始めています。
 便利さはないが、効率も悪いが、大自然の中で自分で出来ることは汗を流しながら、決して上手には出来ないが、自給自足しながら生活していくことこそ今の世の中では大贅沢な生活ではないかと思っています。そして人間よっぽどの人間嫌いではない限り、家族、知人、多くの仲間と助け合い、語り合い生活することを望み、決して一人もくもくと田畑を耕し寂しく暮らすことを望んでいるとは思えません。立派な作物が収穫できれば、皆に見せて賞賛の言葉を聞きたいし、逆にうまく出来なければ、相談しよい方法を教授してもらいたいと思うのではないでしょうか。人間との関係を大事にしながら、このような大自然の中で生活することが、どのようなものなのか少しでもわかればとの思いの中で今回この帰農塾に参加させていただきました。三日間農に関する講座、実習、参加者等の皆様と語り合えたことは大変有意義でした。特にそれぞれの田舎ごとに、それぞれ違った問題、苦労が存在し、自分がもし移住した場合、その地域でいったい自分が何が出来るのかを、真剣に考える必要を感じました。今後この様な機会を多く経験しながら、自分の進む道を捜していきたいと思っています。
 美味しい食卓の提供やいろいろ世話をしていただいたスタッフの皆様に感謝致します。


 里山帰農塾に参加して
 K.K

 数年前より近い将来自然豊かなところに移住し農業で生計を建てたいと思うようになりました。私が始め言い出したころ妻は反対をしていましたが、最近それもいいかも言うようになってきた所で鴨川自然王国の里山帰農塾の事を知り夫婦2人で参加することにしました。
 私は農業に対する知識や経験がまったくないので講義や作業で将来の移住へ向けなにかのきっかけをつかみたいと思っていました。
 実際に講義でいろいろなお話しを聞き田植えや苗の植え付けなどをしてみると今まで自分が考えていた以上に農業で生計を建てるという事は難しいという事がわかりました。しかし、将来、農業をしたいという気持ちはより強い物となりました。今回の里山帰農塾で得たた物を生かし今後移住へ向けて少しずつ準備を進めて行きたいと思います。


 五感を開いて
 M.W

 グニョ。ひんやりヌルッ 田んぼに入った瞬間に、目、耳、鼻、穴という穴が一気に開いてしまったようだった。普段、都会に出た時には、空気を嗅ぐまい、騒音を聞くまいと、塞いでいたのかもしれない。近頃は、月に二度だけ地元の農家での農教室に参加し、土に触れては、どこか安心し、気持ちが表れるような感覚に浸っていたが、田植えの感覚は、また一味違うような気がした。
 五感全開になって講義を聞き、食事を頂き、農体験をするうちに、里山、農村で古民家を手直ししながら暮らしたい、という漠然とした、しかし一直線すぎた気持ちに少し落ち着きを取り戻していくようだった。ゆったりとした空気の流れの中で、硬くなっていた頭がほぐされ、ますます気持ちを強くすると共に、もう少し自分が出来ることを深めて、急がず進んでいきたいと思った。
 これまで、自分の妄想を絵に描くこと、その絵を動かし、音をつけ、アニメーションというものを8mmで撮影するということを少しやっていたが、地球のこと、暮らすということを考えるうちに、作品つくりよりも、もっと大事なこと、暮らすということで表現していくことが必要なのではないかと、考えたりよくわからなくなってきていた部分があった。けれど、最後に登紀子さんに朗読と歌を聞かせて頂き、芸術もとても大事だと最後にお話されたことで、私には半農半アニメーション、半農半絵という生き方も出来るかもしれないという気がした。暮らしの中に農的要素を取り入れ、自分が食べる野菜を作り、昔ながらの民家で、循環した暮らしをしながらの作品づくりというものができればと、気持ちを新たにした。


 里山帰農塾に参加して
 M.K

 今回、夫婦で参加した私のキッカケは、漠然と何年後かに自然豊かな所で農業をする人生をしてみたいという夢を2泊3日ですが、田植え等の体験や、実現してきた方のお話を聞いて少しでも現実を知る事ができたらと思い参加しました。
 土を触った事のない私が、そう思うようになったのは、何気なく見ていたニュースで日本の自給率の問題を取り上げて40%の自給率で国民の食を賄うとすると、ご飯と野菜が少し味噌汁は毎日は飲めなくなるという、よく考えればわかる事だけど当り前にスーパーに池が世界中から輸入した物が沢山並んでお金さえ出せば何でも買えてしまう生活に麻痺している事に気がついたからです。
 これでは異常気象などいつ何が起こるかわからない世界で生きていけないと思い土に触れる事を決心しましたが、実際体験するまで、自分には無理だろうと思っていましたが、田んぼの中がこんなに気持ちのいいものとは驚きでした。体はキツイし大変でしたが、収穫した喜びを味わえば、自分に出来る範囲でやっていける気がしました。
 座学でいろいろなお話を聞きましたが、「大地があるとふんばれる強さ」に共感しました。また機会があれば参加したいと思います。


 帰農塾の三日間
 PN.はしもと
 
 日々「常に機嫌良く 心豊かに 全てを受け入れ 前向きに!」を信条としている私にとって、自らが安定する土台は家族、友達、健康の三本柱である。その土から木を生やすために大切にしたいこと、それは「衣食住」。この王国の農的くらしには、とてもシンプルな「衣食住」を見ることが出来た。自分達で頂くものは、自給でまかなえること、とても贅沢だと羨望せずにはいられない。
 東京に戻ってから、少しずつ以前よりも土に触れる時間を増やし、庭やベランダのプランターで野菜を作っていきたい。
 東京にいながら、農的感覚を持ち、自らの野菜を中心に食卓を囲みながら、野菜作り談義に花を咲かせたい。


 鴨川自然王国での三日間
 PNミッチー

 友人のトミーに「農業してみない?」と誘われて、旅行に行くような軽い気持ちで参加を決めた農業体験だった。他の友人誰に話しても、「えっ!?農業?なんでまた・・・?」というリアクションばかりで私の周囲の関心は薄かった。私も、農に興味はあったものの、実際に体験や実習に行こうとまでは思っていなかったのであるが、友人と一緒だったら行ってみてもいいかなと思い参加した。私の住んでいる葉山町は都心からも近い比較的自然の多いと思われる土地なのだが、当日自然王国の研修現場に来てみて、私はとんでもない所に来てしまったかもと少し後悔をした。すぐにコンビニがないような、今まで運転したこともない細くデコボコの道で、私は果たして無事に帰れるのだろうかと泣きたくなった。
 しかし車を降りしばらく周囲の音に身をゆだねていると、蛙の声、鳥の声のなんとも言えないハーモニーのみしか聞こえず、とても懐かしく、激しく降る雨の音さえ心地よいと感じていた。このリラックス感、開放感は何なのだろう。家や私の行動範囲では絶対に味わえない感覚だった。夜は雨も更に激しく風もすごかったが登紀子さんの「風を感じる家」で文字通り風を感じ、自然の中の小さな一つでしかない自分なのだなあと思ったりした。
 体験塾には個性豊かな講師陣と受講生たちが、それぞれの思いを持って集っており、とても刺激を受けた。そして今自分にできること、自分の居る環境をどう生かすか、どう貢献できるか、何をしたいか、など色々な思いが心をよぎった。でも急いで答えを出す必要はない、ゆっくり流れに身をまかせて決めていけばよいのではという登紀子さんの言葉に少し安堵しつつ、自分なりに、自然や農や土や食に関わって関心を持って積極的に接していきたいという気持ちを強くした三日間でした。


 「消費者」を「当事者」にかえる「半商品」
 鴨川自然王国「里山帰農塾」に参加して、「なるほど」、「でもな」、
 T.A

1.これは、アソシエーション?---石田三示氏の言葉 ---
 市場における商品交換の論理(資本の論理)と互酬性の論理(人格的な結びつき)のミックスした人間関係の形成を目指している「農的生活」の試みの話を聞くことができた。これは、一つの未来社会の交換形態(アソシエーション)を示しているのであろうか。

 私は、『増刊現代農業(脱・格差社会)』を読んで、今回参加を決意した。受講動機として次のように書いている。

 (鴨川自然王国のことは)前から知ってはいたのですが、「増刊現代農業2月号」を読み参加しようと思いました。遠方で費用もかかりますが、先ずは体験して、「人生二毛作」のあり方を展望してみようと思います。
 香川にある自然食品の店に関係する生産者達に会う機会もあるのですが、今後の自分の生き方として、今ひとつ自分の心を揺るがす方たちがいないように思われます。そこで、ぐだぐたと思うより、先ずは行動です。体験して、いろんな方と交わることで、「バカ者・よそ者」になる生き方を思考してみたい、と思っています。
 今でも十分「バカ者・よそ者」なのですが、それを徹底させるには、精神的なエネルギーがいります。このエネルギーを蓄えたい、とも思います。

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 片道1000Km弱の旅。行きは、日々の生活の疲れか、本を読んでいるつもりが、いつの間にかコックリ、またコックリ。でも、非日常は、楽しいものだ。心は軽くウキウキと・・・。まだ見ぬ人たちの顔立ちを想像して・・・。
「これでは、いけない。日ごろ十分できていないことをしよう。」
と、思い直して唯一もってきた本、カウンセリングに潜む問題点を掲載している『心のケアを再考する』井上芳保編集(現代書館)を、ともかく読了することにした。心の専門家を自認してその権威づけに奔走している「日本臨床心理学会」の問題点を指摘している。その中で、加藤彰彦(野本三吉)氏の文章に心惹かれる。人との具体的な関わり合いの大切さを、切々と語りかけている。外房線に乗り換えたころ、外は闇。室内灯を頼りに、ひたすら読書をした。
車内販売が来ない。どうして・・・。空腹感がだんだん強くなる。
「これは、どうも、弁当を販売していないらしい。しまった・・・。」
「東京駅で何か食べておけばよかった。」
ふと、独り言をもらしてしまう。
は暗い。どこを走っているのやら、時間感覚と距離感覚を失った頃、特急列車が各駅停車の鈍行になったことに気付く。目的の鴨川駅に近づいたらしい。車内放送で、鴨川駅が外房線と内房線の分岐の駅であることを知る。何か、地の果てに近づいている感覚になる。
「もう、読書は止めだ。」
 目を凝らすと、速度の落ちた車窓からは町並みらしい建物が続き出す。やっと着いた異国の地・・・。

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 王国からの帰国後、あわただしく田植え準備をする。水を入れた田で、トラックターを使う。またまた、機械操作の仕方を忘れていた。年に一度しか使わない機械だから、仕方がない。それなのに、病気の父は、私の動きを「かいない。」と言う。「かいない」とは、トラックターや田植機の使い方がへたな、と言うことである。
 使用後にするトラックターの水洗いの仕方、トラックターから落ちた泥を洗い流すための水のかけ方、そして、箒の使い方まで批判する。本当に、疲れる。ようもまあ、ここまで言うものか。人それぞれの仕方があるというのに・・・。ストレスが、溜まる。疲れを感じる。妻は今日も帰ってこない。あぁ・・・。
(※妻は野外学習に引率で行っていて、ここ数日家に帰ってこない。)
 このような日々の合間をぬって、H氏に会う。彼は、有機無農薬栽培とそれ関連の販売店(虹の邑ポパイ)を経営している。また、どうにか、市会議員をしている。
 どうにかというのは、・・・。四苦八苦、苦悩する日々であるからだ。彼は独断・豪腕な市長と対立し、市の職員や地域住民の有力者からも危険視されている。市民運動として始めた「安全でおいしい水を求める会」も、どうにも経ち行かなくなってきた。市の職員の協力が得られないのだ。市長は、市の職員をリストラして、なんでも民営化しようとしている。水道事業の民営化に真っ向から批判しているのはH氏のみである。市長に逆らって、彼のように意見を述べる議員と職員はいない。このような実態下で、市の水道事業の問題点をH氏が指摘すると、その矢面に立たされる市の幹部職員は、その不満のはけ口として、H氏周辺の住民に圧力をかけてくる。そして、一人、また一人と会から人が抜けていったのだ。
 この市では、長年の間このような行政が続いているために、水道事業の専門的な知識をもった職員がいなくなってしまっている。我々が市の職員に対して行政担当者としての意見を聞くと、なんと、次のようなことを言う。びっくりした。
 「市民は、公務員にそんなことを期待していないのでは?!」
 一瞬、何を言っているのかが分からなかった。
 事務屋が水道事業を運営をしているために、自分の言動にや水道事業業務に自信がない。また、劣等意識を、下っ端意識をたたき込まれていることには、驚いたものだ。公務員という職務に対する罪悪意識をもっているらしいことが感じさせられる。民間企業が素晴らしくて、公務員の仕事は悪であるとまで思っているようだ。「公」には、公としての大切な職務があるというのに・・・。公としての職務に自信を保てないように感じ取れた。行政専門職としてのプライドを壊してきたのが、善通寺市政である。

 増刊「現代農業」編集長の甲斐氏は「希望は戦争か、土地と平和か」の中で、永田恵十郎氏の『地域資源の国民的利用』を引用して次のように書いている。
 『新保守経済学(※新自由主義経済)』の特徴は、市場メカニズムだけを信仰し、かつ人間を経済的利益のみを追求する経済動物としてだけ考える人間性不在の論理に立脚しているところにある、と考えてよいだろう。    ※は、青野の注釈
 このような新自由主義経済政策を信仰する市長による、市民管理と市職員への労務管理の実態を露わに示しているのがこの善通寺市であろう。ともかく目立つことをしょう、全国一、四国一と言われる実績を作り出そうとしているのが、今の市長の政治姿勢である。そのためには、今の政府のしている路線を最先頭で突っ走ろうとしているようだ。さて、状況説明はこれくらいにして・・・
 H氏に鴨川自然王国で学んだことを一通り説明する。すると、
 「消費者とつながるというてもな・・・。そのことについては我々も今までしてきたつもりだが・・・。その消費者と言っても・・・。」 ※「な」をつけるのは、香川県西部の方言
この・・・の意味は、(安全な食べ物を求め有機無農薬の食べ物を購入している消費者も、その時々でいろいろと変わり、経営の安定になかなかつながらない)、という意味が含まれている。そこで、鴨川自然王国理事長の石田三示氏の言葉を二つ紹介した。
止まったら、終わり。次々と企画しなくては!
これは、消費者と、都市生活者とつながる企画の大切さを述べている言葉である。そして、このイベントを打ち続けることで、「消費者」を「当事者」にかえることができ、田舎で生産されたものが「市場における商品交換」を越えるものとして、人的関係の関わり合う「半商品」として、ブランド物として流通することができ得る、と言っているのであろう。
 そうすることで、食の安全を考える当事者(消費者)となり、生産物の値段が高くても、人(信頼)や安全(品質)を求めて購入するようになる。そしてそのことで、農家の収入の安定につながることになる。また。自然食品が売れることで、ポパイの経営も安定することになる。
 現代の搾取・収奪の仕組みを支えているのは、圧倒的な多数派であり、都市生活者である労働者たちなのだ。労働者たちこそが資本主義経済を動かしている駆動力なのである。彼らが買うという行為を通して、この資本の蓄積がなされているのだ。資本にとって商品が売れることで、労働者が買うとい行為を通して、搾取がなされているのだ。この流通の回転を何処かで断つと、資本主義経済は崩壊する。先進資本主義国においては、労働者という立場が反体制なのではない。搾取の仕組みは、誰にもすぐ分かるようには露呈していないのだ。
 このような資本主義経済の駆動力としての労働者達に、「市場における商品交換」の論理を越え出る新しい交換形態であるアソシエーションをストレートに求め期待しても、それはむなしい徒労に終わるだけである。繰り返し働きかけをしていかなくては、関わりを企画していないと、ますますしんどくなるだけなのだ。このように話すと、
 「その通りであろう。でもな、・・・」
 なかなかうまく機能しない実態に、疲れを感じているようだ。
 ※このシステムから抜け出る方策としては、労働者達による生産・消費組合の設立が考えられる。
 大企業は好景気でも、この地の労働者の収入は、ずっと減少し続けている。公務員給与も年々減少している。大卒者の初任給は、10万円と少しである。派遣や臨時の者は、さらに少なく、雇用が不安定である。そのような人たちは、高価な物を買おうとはしない。前年比で大きく販売が落ちている現状だ。
 また、香川では、高松市以外はどこも田舎街に毛が生えた程度であるために、近くに田畑を所有していたり、親戚縁者が小さな農業をしていることが多い。そのために、自然食品を求める人たちの絶対数が少ないのだ。このようなことが、売上額の減少という結果に現れているらしい。
 「柳の下の二匹目のどじょうは、おいしい」
 これも、鴨川自然王国理事長である石田氏の言葉である。広く全国に視野を広げれば、いろんなイベントが企画・実施されていることに気付く。その中から、その地にあったものを選択してすればよい、との意味である。
 H氏には、大山千枚田のポスターを見せながら話した。私はあのかがり火に感激して、半年も過ぎて暦としての機能のあまりない季節遅れのカレンダーを購入したが、このような時には大いに役立つ。
 「この油は、天ぷらの廃油で、・・・。」
 等と、だんだん熱を帯びて説明する。観光業者との関わりも話した。
 「泉湧く里、善通寺!弘法大師生誕の寺、善通寺」等といったこの地に合ったイベントを企画していくとよいのではないかと、話した。善通寺市内に各所にある「わき水」の周辺にかがり火をたいて、その遊覧を企画するのもよいかもしれない。
 「虹の邑ポパイ」は、善通寺や市の企画したイベントにはこれまでも積極的に参加してきた。また、土・日の直産市、そして年に一度の「感謝祭」等を企画しているが、それでも売り上げ額は減少している。
 「二番煎じで良いではないか、いろんな形態の企画を探していこう。」
 「市民運動の再構築もしていこう。他の団体や個人と協力して・・・。」
と、話した。
 市民運動のあり方をめぐっては、二人の間でいろいろと意見の対立があったのだ。彼の「他の団体や個人」との関係性づくりに関して、私はきつく批判してきたのだ。多くの人たちの熱意・積極性とつながることを考えなくてはならないのだ。自力でできうることはないのだから・・・。多くの不全感を感じつつも、他の人たちとつながる事を考えなくてはならないと思う。ともかくつながることを考えていくことである。

2.「半農半X、農的な生き方」---高野孟氏の言葉---

 参加後、それまでの私の視線からするとぼんやりと見ていたものが、より鮮明に見えてくるようになったことがある。この「半農半X、農的な生き方」が、それだ。
 私の周りにも、この「半農半X、農的な生き方」をしようとしている人たちがいたのだ。そう、同級生に、そして親族にもいた。

○定年を数年後にひかえて、空いている時間を農作業につかい始めた者がいる。田植え後、その人の所へさっそく行った。「里山帰農塾」で甲斐氏よりいただいた資料をさっそくコピーして。
彼は、文章読解力を十分もっている。あの文章の意図していることを理解するはずである。かつて、私のまとめたフッサール「現象学」のまとめの文章も、丁寧に読み感想を送ってくれた同級生だ。高野孟氏が増刊「現代農業」に書いている文章も、コピーして送付したことがある。高野氏の文章には興味を示し、あの号の増刊「現代農業」を購入している。この「半農半X」というライフスタイルに、大いに刺激を受けたらしい。
 いろんな話をした。すぐ帰るつもりが、長時間にもなった。彼も、いろいろと考えていたのだ。今年から、耕作農地を増やしていた。また、「半X」についても話すことができた。彼なりに考えているようだ。話していると、私にも勇気が湧いてきた。
 そして、自然食品を販売している高松市にある「ちろりん村」を紹介した。また、甲斐氏より送付していただいた他県のプロジェクトや、成功している岡山県の「とらちゃん田圃」の米の販売価格についても紹介した。価格的に、十分やっていけている実態を知ることであろう。

○郵便局を早期に退職して農業をしていた従兄弟が、「田舎料理店」を始めた。農業を続けることに、ほとほと嫌気がさしてしまったらしい。以前にこれを聞いた私は、
「何を考えているのやら、あの山の中に食事しに行く人がいるのかいな。」
「日に何人もの客があるはずがない。」
こんなに思い、未だに訪ねていない。私の住んでいる所は、田舎でも一応国道沿いにある。しかしこの従兄弟の住まいは、国道からさらに深く山の中に入っていく。道も、30年昔のままである。
 このような試みも、今回の体験から考え直すと、ある一つの意味ある試みかもしれない、と思い直した。彼の子育ては、もう済んでいる。二人の子は、結婚して家を出ている。彼なりのライフスタイルを、人生二毛作を実践しているのかもしれない。今度訪ねてみよう。同い年で、小・中・高が同じで幼馴染の従兄弟である。じっくりと話してみよう。高野孟氏が増刊「現代農業」に書いている文章をもって、・・・。彼も文章読解力は、ある。彼は、労働運動経験者である。まずは、このようにな、思考力のある人たちに話していくことをしよう。農業しかしてこなかった人たちに話しても、分かっていただけるようなことではないからだ。
 そうだ、○○会社を退職して、今は農業に頑張っているF氏のところにも行ってみよう。

3.甲斐氏の主張について
 「消費者」を「当事者」にかえる「半商品」を読了後、ある文章を思い出した。金子勝・大澤真幸『見たくもない思想的現実を見る』(岩波書店)に書かれている文章である。次のように書かれている。※以下に要約引用するのは、金子勝氏の文章
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 投機マネーが日々刻々動き回る。株式・債券・通貨等が空間だけではなくして、時間の制約を越えて未来も取引されようとしている。市場での商品交換という交換形態主導の経済(※資本主義経済)は、時間と空間を越えようとさえしているように感じられる。
 しかし、この交換形態も万能ではない。自然という壁にぶつかる。空間的にも時間的にも、現実実際にはこれを越えることはできない。グローバリゼーションは、金融市場から労働市場まで波及している。しかし、これらの取引は、どうしても農産物市場で壁にぶつかる。ここで最後のつじつま合わせをするようになる。それは、それぞれの市場の調整速度に違いがあるためである。労働市場も簡単には調整できないが、農業は自然条件に大きく制約されるためである。農林業は、市場への対応力が弱く遅い。しかし、それが人間の生死を左右する最後の生命線である。
 このシステムが破綻しかけると、・・・。昔は、そのために騒動や農本主義ファシズムが起きたが、それと同じことが起きるというのではないが、いやいや、今あるとしたら、社会の破滅・自滅であろう。
 多くの国民が、食料の自給率の低下に不安を抱いている。また、ほとんどの人がたくさんの機能をもっている農業をこの日本に残したいとのアンケート結果が出ている。しかし、これらの声の下には、別の意見も隠されていることを忘れてはいけない。
 「消費者が安い物を食べられるのだから、外国から農作物を輸入してもよいではないか。農業が成立しなくなっても、食料自給率が極端に低くてもよいではないか。国際的な競争のできないような農業経営などつぶれてもしかたがないではないか。」
 「まあ、農業は主要な問題ではない。WTOルールに従って、一時的に所得保障してやればよいではないか。」
 「将来に不安を感じるが、貿易黒字があるかぎり、外国から安い農産物を買った方が楽である。わざわざ高いお金を支払ってまで、日本の農業を守る必要はないではないか。」
さらに、
 「破産した自治体が出てもかまわないではないか。我々都市生活者にとって関係ない。人の住めない地域に無理して住む必要がないではないか。都市に住めばよいではないか。」
 都市生活者にとって、苦しい生活から取り上げられた税金を農山村に「あげている」、あるいは「ばらまく」という感覚になっている。国民としての一体感なんてない。このような意見が、日々の生活実態・感覚として出ている。
 私達が米や野菜や肉を食べる時、普段それがどこでどのように作られているかを思い浮かべることはない。想像することができないし、していない。交通通信手段の発達で、時間的距離感は縮まっているのに、感覚的には遠くなっている。想像できないということが起こっているのは、都会人と農山村とのつながりが切れてしまっているためである。かつて、農山村は、都市労働者たちの供給地であった。都市に向かって多くの人が移動していった。その人たちは、都会に居ても、その親たちが農山村に居り、季節や年の暮れには帰郷していた。少年期までの暮らし方が、生活の仕方が、都市生活にも影響を与えていた。しかし、今や、その人たちの子どもたちは、初めから都市生活者である。大手をふって帰れる田舎はない。彼らのふるさとは、都会である。農村生活を共有した経験をもっていない。農山村での生活と労働を、まったく知らない人たちになっている。農山村と都会の人たちの関係は、薄く、そして切れている。共感関係にない。
 このような状況は、人間の体に例えると、「糖尿病」や「癌」のようなものである。じわりじわりと、確実に取り返しのつかない変化が生じてくる。回復不可能な時期が近づいてくる。農山村の崩壊現象が始まっている。まさしくメルトダウン(※原子力発電で、核分裂を制御しようとしても、それができなくなり核分裂の連鎖が起こること)が始まっている。
 都市と農山村と漁村との対立を越えて、共感を取り戻し、公共性を共有することができるかどうか。自立と持続可能性を相互に尊重しながら「食と環境のリスク」を共有する関係の構築をしていく取り組みができるかどうか。これにかかっている。
 農業従事者は、補助金を欲しがる考えからの、つまり行政からの独り立ちの精神が必要である。そして、それを支援する政治の大改革(既成の官僚組織を大きく編成し直す)が必要である。
 農林漁業がこれからも成立して行くには、外国の低価格産物に対応できるものを生産し、都市生活者に供給していくしか生きていくすべはない。それは、低価格に対応できる、「安全性」「味」等といった付加価値で勝負するしかないであろう。そのためには、これまでひたすら機械化と化学肥料と農薬に頼ってきた農業経営を根本的に改めるしかないであろう。また、今まで行政権力にすり寄ってきた農協の体質を根底から改革を図ることが必要だ。(※自主的な生産協同組合の設立こそが必要)
 また、都市生活者は、「安全」と「味」等の質を重視する生活態度を身につけなくてはならない。消費者の意識は変化しつつあるが、大型スーパーの安売り食品に群がる姿を見ていると、まだまだである。インスタント食品やスナック菓子を好む若者の舌を創ったのは、大手食品会社である。そして、安上がりのセンター方式の簡単調理の給食である。ひたすら「儲けに」、そして効率化に突き進んできた経済論理のために失ったものが、一気に噴出している。

 この文章は、甲斐氏の「消費者」を「当事者」にかえる「半商品」と比べて抽象的一般的な書き方をしているが、今後の農村・農業問題のあり方を考えていく方向性はよく似ている。以前にこの金子勝氏の文章を読んだ時には、私の日々の生活空間である田舎の農村の今の政治的な課題がはっきりしたことを、覚えている。
 それで、日本の政府の無策さに怒りを覚えて、今の自民党政府に批判的な人たちに「農村・農業問題」の重要性を話しかけたものである。しかし、肝心の眼前の農民からは、まったくといってよいくらい反応がなかった。補助金農業にどっぷりとつかってきたためか、長年にわたる農業に対する安楽死政策で、立ち上がる精神をまつたく骨抜きにされているためか・・・。

 甲斐氏の文章は具体事例をたくさん入れることで、読む者に実践へと誘おうとしている。今後の方向性も、より鮮明にしている。向かうべき方向性を指し示す旗振り役をしている、とも言えるものである。人は、一般論として納得しても、それだけでは具体行動をしようとはしない。具体的な成功事例を知ることで、一歩を踏み出すのだ。まさしく、この文章を通しては、オルガナイザーとしての甲斐氏が浮かび上がってくる。問題意識を抱いている者たちに、「怒れ」、「農的な生活を実践しろ」、「農村・農業問題に傍観的になるな」、「消費者と結びつく努力を」「当事者となれ」、と激を飛ばしているのだ。そうだ、具体事例を示すことで、じんわりと考えさそうとしているのだ。読者に勇気を振りまいているのだ。彼は、オルグしているのだ。彼の講義の口調は、だんだん激しくなってきた。のへとるいる
 そこで、私は、口をはさんだ。甲斐氏に対して、現状の農民達の「ずるさ」や「怠惰」さの事例を言うことにした。現状の農家をそのまま無条件に支援することはないのだ、と私は言いたいのだ。政府の農業潰し政策で、全国に耕作放棄地が増大するであろう。このままでは、穀物自給率が急激に落ちて行くであろう。でも、しかたがないではないか。現実の今の農民の多くは不満を感じても、積極的に動き出すエネルギーをもっているようには思えない。農業ということに誇りをもっていないのだ。ただ、国土の保全という意味では、十分役目を果たしていることは間違いないが・・・。この実態を踏まえないと、ただ「日本の農業を守れ」と言っても、それは意味をなさないのだと。
 支援しなくてはならないのは、今新たに「定年帰農」や「若者帰農」をしようとしている人たちである。鴨川自然王国「T&T研究所」研究員の田中正治氏は『増刊現代農業(脱・格差社会)』で、このような人たちのことを、バカ者・よそ者・若者と呼んでいる。これは、自分も含めての言葉であろうが・・・。このような人たちこそが、農村や農業を支えていく人たちなのだ。
 甲斐氏もこのことを分かっている。それで、『増刊現代農業』には、このような人たちを励ます事例がたくさん掲載しようとしているそうだ。また、映像資料を活用して、地域ぐるみの取り組みをも紹介していただいた。

 私はもう「若者」ではないが、「よそ者」にはなれそうだ。今までしていなかった具体的な「農的な生活」を実践することで、地域から浮き上がってしまう「変なことをしている人」にはなれそうだ。「バカ者」には、もうずいぶん昔からなっている。これには、自信がある。

4.農村・農業政策の必要性
 香川の民主党の議員たちに、農村・農業政策の必要性訴えることにした。相談の結果、国会議員と立候補予定者、そして地方議会議員に、さらに党大会参加者に、甲斐氏の文章「消費者」を「当事者」にかえる「半商品」を配布することにした。
※甲斐氏の了解済み
 関心のない人たちにとって、紙くずとなるかもしれない。しかし、議員たちには、どうしても考えていただきたいものである。自民党の今までの農業政策の間違いを質し、今後の農村・農業政策のあり方を真摯に訴えていくことで、土地持ちの小農家の支持を得ることが必要なのだ。それができない限り、この香川では当選はありえない。今まで田畑を保持しているが故に、そのために、自民党に投票していた人たちの支持を得ない限り当選しないのだから。
 この香川の地で民主党の議員を作り出すためには、今まで自民党に投票してきた人たちの支持を獲得できる政策を掲げることが必要である。地方の田舎に住んでいて、今まで自民党に投票してきた人たちの支持を獲得できる政策を提示しなくてはならない。都会に出て働いてきた人たちではなくして、田舎に残って経済成長の恩恵を受けることの少なかった人たち、つまり農山地を守り所有しながら、地域の会社等に働きに出ている(いた)労働者たちの支持を獲得することが必要なのだ。つまり、兼業農業をしている人たちの支持を獲得することである。
○農業や農村の問題点の明確な指摘、そして、変革の必要性の訴えかけと、山間地や農村地居住者の生活基盤に関る政策を提示・宣伝して支持を得ないと、この地で民主党の議員を送り出せないし、政権を獲得することができないと思われる。
 このような人たちは、まだまだ共同体的意識が根強く残っている地区に居住している。隣や地区の人たちの視線を気にして態度決定している人たちである。退職して初めて近所の人と交わるなんていうことではない。もともと地区内の催し物には出てきている人たちである。いやいやながらも、地区内の共同体的な縛りで日々付き合いをしてきている人たちである。このような人たちは、経済的豊かさでは遅れて、そして少なく享受してきた層である。そして、今までの自民党による利益分配政治の恩恵を受けてきた人たちであり、今までの補助金行政にどっぷりと漬かってきた人たちである。
 この人たちも「新自由主義」政策でその利益分配が減っており、今まで通りでは立ち行かないことを自覚してきているのは事実である。リストラされたり、倒産や工場閉鎖で解雇されたりしてきている人たちも多く、今後の人生を考えざるをえない状態になってきている。会社勤めを辞めて、受け継いできた農地を使って今後の人生を考えようとしているのですが、展望がないまま、役場が、政府が、有力者が何かしてくれることを期待している人たちである。今まで、自主的に考えたり、周囲の人たちと自覚的に結びついて行動したという経験のない人たちである。
 これらの人たちは、子育てもほぼ終わりに近づいている人が多い。大きなお金が必要ではなくなってきているが、先の人生に不安を感じている。今までの生き方に疑問を感じて、別の生き方を模索していることは感じ取れるこの頃である。
○香川で、大規模農地の所有なんてできないのだ。しても魅力がない。ため池に頼っている水田耕作のシステムからして、複雑な重層的な水利慣行を考えると、とても大規模にすることはできない。それをしても、経済効率が良くなるわけではない(歴史地理的な要因)。 展望としては、「集落営農」しかない。これを推進することです。しかし、これも・・・。保持している農地が少なく、積極的な将来像を感じ取れないために、これにも消極的なことが多い。四国の他の三県に比べて人口密度が高く、所有農地が狭いのだ。このような歴史的要因も大きく関係している。
 そもそも農村・農業問題に、純粋な経済効率を求めること自体が間違っている。所有している農地の保全のために、農具機械の購入のために、働きに出て得た賃金をつぎ込んできたのですから。金銭問題だけでは、この農地の保全ができないのだ。金銭に還元すると赤字になっていることは、明らかなのだ。大土地を所有して経済効率を追求する農事株式会社では、農地の保全はできない。経済的な利潤の論理で言うならば、耕作放棄となってしまう。そうなると、野山が荒れて、ひとたび大雨が降れば、用水路の整備保全ができていないために、大洪水の発生となってしまうことになりかねない。
 金銭的には都市生活者の方が、比べての話であるが、余裕があると言い得るのが実際なのだ。ただ、田舎ではお金を使う場が少ないために、暮らしやすいといわれているが・・・。
 このことを勉強し、具体的行動もしてきた人が、香川県選出の国会議員候補になることが最適なのだ。農業生産を続けていける魅力を感じ取れる政策が、必要なのだ。当然、補助金農業からの離脱を訴えなくてはならない。農地を保有する人たちに向かって、これが言える人が候補とならなくてはならない。狭い農地を保有しながら働きに出ている兼業農家の人たちに一票を投じていただくには、今の日本農業の問題、農村問題を明確に指摘して、変革の必要性を訴えるしかない。(※繰り返し言います。)農地を保有する人たちに向かって、これが言える人が候補となることだ。東大や京大での、官僚出身の議員候補は、もう嫌である。

 また、中国問題について、「けねんがある」と「潜在的脅威がある」と「現実的脅威」の違いも分からず「軍事的脅威である」等という人を、党代表にしてはならない。「前原のボケ!」としか言いようのない、あのような人を議員にしてはならない。最適な人を、その地区内から選出することこそが大切なのだ。この過程をこそ、大切にしたいと思う。
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<座学についての感想>
 このように私なりの整理ができたのは、「座学」の機会がたくさんあったためであろうと、思われる。体験をすることも良いけれど、体験だけでは、「農的生活」をする上での諸条件が分からないままに終わるかもしれないからだ。何をするにも、自分なりの自覚と決意が必要となる。この自覚と決意は、独学と人と厳しく接することからしかできない、と思われるからだ。このようなスタイルの「里山帰農塾」を続けられることが、よいと思います。
 私としては、もう二度と貴農事法人「鴨川自然王国」を訪ねることはないと思います。今回で、たくさんのものをいただいたという気持ちで一杯です。ありがとうございました。
最後になりましたが、スタッフの皆様に、心より厚くお礼を申し上げます。暑く厳しい夏が近づいてきていますが、皆様がご健康で、農事法人「鴨川自然王国」が今後ますます御発展されますことを祈念いたします。

 また、一緒に参加されていた皆様にも、厚くお礼申し上げます。ここちよい時間を過ごさせていただいたことに対し、重ねてお礼申し上げます。皆様がご健康で過ごされることを、祈念いたします。

 最後にもう一つ、感想を書きます。三日間、野菜ばかりの料理でしたが、おいしかった。特に、タマネギの料理が素晴らしかった。丸太ジャガイモ入りのカレーも、よかった。大根や空豆の料理も、素晴らしい。わが家の料理には、なかったものでした。私の家庭の料理では、このような素材はあるのですが、いつも煮込み料理か、油炒めになってしまっています。人にとって、食べることは、大きな関心事項です。食べるだけでも、幸せな気持ちになれます。普段はご飯を一杯しか食べないのに、二杯も食べてしまいました。

ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。



 帰農塾から半年経ってみて
 PN 18期連絡係

 私が18期の帰農塾に参加して、半年が経ち今回は半ば押しかけの様に、途中から参加させて頂きました。
 王国に初めて来たのはわずか半年前ですが、あの時の心境は今ではすごく遠いように思えます。あのときは病み上がりで、自分と社会の距離の置き方に迷っていたように思います。だから、何かを得ることにすごく焦っていたかもしれません。すぐに行動を起こして、翌月のイベントから参加したことが、自分のなかの化学変化の始まりだったように思います。今では自分のやるべき事、したい事がたくさんで、とても忙しく充実した日々を送っています。
 私は昨年の今頃まで二年半、過労で病気を患っていました。社会問題にもなっているこの病気では、私も死にかけたし、実際に亡くなった方もいます。
 時間が経ち、自分の生活が豊かに、実りあるものになっていくのを自覚するうちに、私は、自分だけラッキーガールで済ましてはいけない、もっと何かできることはないだろうかと考えるようになっています。
 いずれにせよ、まだ結果はわかりませんが、この半年間で、王国によってもたらせれた私の意識の化学変化はものすごいものがあります。これはおそらく、厳しいことを言いつつもなんだかんだ、一人一人を王国のスタッフがさんがよく見ているのだと思うのです。私は自分の連絡係というポストも、偶然に石田さんと目が合ったための仕事ではなく、おそらく石田さんが私に気配りして、心配して目を合わせてくれたのだろうと、今では解釈しております。
 もし、このレポートを偶然見つけられた方がいらっしゃいましたら、一度ご自分の目で王国を体験していただきたいと思います。
 「マイナスは必ずプラスに転化する」という、藤本さんの言葉を、是非百聞は一見に如かずという言葉のあるように、ご自身の全身で体感して欲しいと思います。
 私は昨日すら遠く思える程、変化する全てのことに、楽しみ、充実した日々を送っています。


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