帰農塾 参加者 レポート 
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
7月20日〜22日 里山帰農塾 夏  太陽の恵みをうけて 
 
2007.7.22 更新日 2007.7.30

 「明るい未来にむかって」
PN.ごうちゃん 

 今年の一月二十日『地球村』の木善之氏の環境に関する講演を聞き、地球に起きている様々な現実を知り、私の中で何かが目覚めました。八月に行われる講演のスタッフをしたり豪快な号外を配ったり、とにかく動きはじめました。今回、加藤登紀子さんをはじめ講師、スタッフの方々の熱い生き方と接して自分が向かっていく方向を確信できました。今までの日常生活がいかに不自然であったか、衣食住を他人まかせにせず自分の責任で生きていくことの豊かさ。二泊三日という短い期間でしたが風の音、鳥のさえずりを聞きながら眠りにつき、朝の日ざしを感じながら目覚めること。朝昼晩石井さんの美味しい食事と皆さんとの語り合い。帰農塾での全ての体験が私の感覚を研ぎ澄まして下さいました。
 東京に戻ったら在住している港区青山の空地に市民ガーデニングが出来るように働きかけていこうと思っています。土に触れることによって色々な人達が目覚めていくことに期待したいです。地域レベルでコミュニティ出来る場を持てることで循環型社会へ向けての第一歩になることを期待したいです。持続可能な社会が築いていければ今地球に起こっている環境、貧困、戦争等すべての問題が解決していくと思います。
 近い将来、まちがいなく農的生活をはじめていると思います。今はまず私が出来ることを一つずつこなしていきます。
 すばらしい場をご提供くださり、本当にありがとうございました。全てのことに感謝します。


三日間
I.S 

 ここで季節を通して長い時間を過ごしたわけではなく、三日間という時間でしたが、その三日間私のからだの中が喜んでいるなと感じました。「夢は自給自足」と思っていましたが、実際農作業をやるのは今回が初めてと言っていいほどでした。自然が好き、草や木が好き、自分で食べるものは自分でと思う反面、虫やへびにいちいち驚いてしまうのではないかと少し心配していました。ところが実際に少しでしたが農作業を手伝わせてもらうと虫やへびやかえるやみみずにびっくりしない自分にびっくりしました。それどころかそれが自然なことで逆にいとおしさまで感じます。不思議です。もしかしたら町で虫に会うというところに何かあるのかもしれません。共にくらしていないのです。
 あと、今回感じたことは、自分の浅い知識や経験で正しいのではないかと思っていたことが、色々な方向から見ると違って見えてるということでした。例えば、エネルギーの自給自足という点で、原子力や石油にたよらない方法は何がよいのか、色々な方と意見を聞くことができ、これから私も調べてみたいと思いました。また、石田さんの逆転の発想は非常に面白く、もっと自分の身近な事に目を向けてみよう!と思うようになりました。クマさんの話というか人柄も面白く、私も炭焼きをしてみようかなとも思っています。登紀子さんのお話しの中の藤本さんの思いや考え方もとてもすごいなと思うと同時に心惹かれるものがあります。あと登紀子さんの八ツ場ダムの話、登紀子さんの人とのかかわり方や熱い思いの中の暖かさが伝わってきて心に残っています。人と人との繋がり、というのはやはりいいなぁと思いました。おいしい食事、露天風呂、風の家、祭りすしでおおはしゃぎ、登紀子さんの歌、それぞれの方の思い、語らい、帰りたくないなぁと思ってしまいました。でもまずは自分の身近でできること、やっていきたいと思います。


帰農の帰
T.N 

 これまで方々で市民運動を見てきた。今回も確認できたことは、何事も「手で触れる」ことという、ごく当り前な事だ。
 農とは、作る過程、加工する過程、消費する過程の全てを自らの手で生み出し、理解することができる。講座を通じて作る喜びを知った参加者は、使う喜びに大きな変化を手にするだろう。
 私はその変化を、機械工業化された自分を手工業、自給へと取り戻す過程だと感じている。原初を知ることは、消費する機械にされる世界において、陽(火)と土と水から何かを生み出せる自分を作り出し、自分と喜びのある生活を手にできるだろう。
 帰農の帰とは、自己・生活・社会のそれぞれに立ち戻る場所を与えることかもしれない。


里山帰農塾に参加して
A.N 

55歳を過ぎてこれからの自分の歩むべき道がやや霞みかけてる時、帰農塾の存在を知りました。講師の方々の魅了にもひかれ即応募。日頃消費するばかりで、環境への自分の心無さをあらためて思い知る。一つの綿花から一枚のハンケチが出来るまでには、それ相当の労力(時間)を要する、それならばそれなりの金額を払うべきかもしれない。安い人件費で大量生産し、すこしでも安く消費者へ送る。その結果が物や食品を必要以上に過剰生産しムダを発生させてしまっているのが現状ではないでしょうか。
 安い物を必要数以上買ってどうする?
 まさにモッタイナイである。
 今回初めての参加でしたが、ぜひまた次回参加したいと思います。その時にはまたもう一つ何かをつかんで帰ります。
 最後に講師方々とスタッフの皆様にありがとうございます。


「帰農塾に参加して」 NO.2
Y.T 

 5月の第一回に引き続き第二回目も楽しく参加させていただきました。有難うございます。
さて、この鴨川帰農塾はただ単に農体験や、田舎暮らしのHOW to を教わるだけでなく今までの生活観、価値観に何らかの疑問や不安を感じている人が、農を介して将来に向かってこれからの自分の生き方を模索し、考える良い機会を与えてくれていると思います。
 団塊の世代である自分も、次なる第二の人生を楽しく生甲斐のあるものにする為「半農半X」のXを見つけることが重要だと感じています。
 また、今回も前回と同様若い人々の参加が多いのに驚きました。若い人達が農に対し興味を持ち、考え出していることは将来の農に明るい兆しを感じます。先日の日経新聞のコラム欄に面白い記事がありました。「音大、美大に続くのは農大だ」と、ある若者文化ウォッチャーが力説。確かに昨今の若者向けエンターテイメントでは「農」は旬のテーマになっているとのこと。農業漫画の台頭からも若者心理の変化が垣間見え、高齢化する農業の現場と彼らの意気がうまくかみ合えば面白そうだと記事は結んであった。
 現在、私は横浜の郊外で暮らし、約10坪の家庭菜園で週末プラスαの「農」生活を楽しんでいます。食の安全が叫ばれている昨今、安心で新鮮な野菜は毎日食べられることのありがたさはもちろん、汗水たらしての耕作の労働日々の成長の観察、収穫の喜び、菜園仲間との語らい、等々を与えてくれる「土」「水」「太陽」に感謝、感謝です。この大自然、環境は一人一人が少しずつでも意識を持ち守っていかなければならない大事なことです。自分が何が出来るか考えたいと思います。
 今住んでいる地域でX探しをするか、夢である田舎で暮らしてXをみつけるか、まだ結論は出ていない。


行動の一歩
N.Y 

? !!

実行力の一歩
実現力の一歩


里山帰農塾に参加して
A.S

 まえまえから農的な生活をやってみたいと思っており、自給自足的な暮らしのノウ・ハウが取得できればとこの塾に参加した。なぜこの塾かということについては、新しい生活の場や候補地としてこの辺を考えており、その選定の情報を収集しておきたいということにあった。
 さて、事前渡されていたカリキュラムからも明らかではあったが、やっぱり期待していたノウ・ハウの時間が短かったようだ。100%プライベイトとの関心事で参加した訳であったが、日本の農村の現状等も知る機会ともなり、それなりの意義はあったと思われる。いずれこれから住む生活環境を知っておくことも大切であるからである。
 退職前に描いてきたことを現実のものにするためには、いろんなことを具体的な行動を通じてクリアしていかなければならないが、今回のこの参加はその第一歩となる。
 しかし、ほんの一歩に過ぎず、次の一歩、その先の一歩へと着実に歩を進めていかなければならない。このことが出来なければ、描いてきたことはただの夢に終わってしまう。これまでの会社人間あるいはこれまでの自分から脱し、発想を転換して、これからの諸課題に取り組まねばと決意を新たにした今回の参加ともなった。


レミング 2009.3.3 変更
PN.新羅津可  

 昔、アメリカの研究者がある無人島に鹿を放して観察したところ、最初の数年は急激に増殖したが、その後エサが十分あるにもかかわらず急減した。原因を調べたところ、副腎が肥大し免疫機能に異常が生じており、過密によるストレスが原因ではないかと言われた。
 また、カナダなどにいるレミングというネズミは、生息密度が高くなると、集団で暴走し、海や湖に飛び込んで集団自殺する。野生動物の世界では、遺伝的に固体密度を調節する機能があると言われている。
 一方、人間を見ると、都市という生存環境を造って、高層マンションの中に何層にもなって密集して生活する者が増加している。最近、アレルギーなど免疫機能による病気の多発や理由もなく人を殺してしまうような異常な事件が発生していのも何か過密と関係しているのか……。
 最近、鴨川自然王国に、若い人達が多く訪れるようになったのも、人間のDNAの中に組み込まれた何かのシグナルなのではなだろうか。
 レミングのように「高度経済成長という集団暴走」に邁進してきた日本人は、現在、明確な未来への指針を示せないまま、相変わらず先頭集団は後続集団を叱責して突っ走っているように見える。しかし、視点を変えると、先頭集団も後からグングン押されるまま、止まりたくとも止まれず自棄糞(やけくそ)で走らされているようにも見える。
 この状況に醒めた目で疑問を持った中間集団の人々がこの暴走から一抜け、二抜け始めているのかもしれない。また、経済成長の原動力となってきた団塊世代の人達の中にも、自然王国に来る人々が増えてきたことは、日本にもいいバランス感覚が芽生えつつあるのか、内心ほっとする。
 GDPという旗を振って、アオリにアオッて、突進していた先頭集団が、ある日後ろを振り向いて見たら、いつの間にか誰も付いて来てなかったなんてことが起こるのも漫才としては面白い。また、彼らにとっても後ろから押されるまま、まっ先に奈落の底に突き落とされる悲劇から解放されるのであるから、むしろ幸せというものだろう。何もわかっていないのは、彼らだけかもしれない。




農的暮らしの新しい形を求めて

 美しいものが好き、美味しい食事も、そして時には贅沢も――という「私」がなぜか田園生活を夢見るようになって早や5年。今まで無縁であった「農」や田舎暮らしについて、TVや雑誌を手始めにあれこれ見、読みますます興味を持つようになった。今年の四月からは、就農準備校で月2回、『有機野菜作り』講座に通学するまでに到る。
 効率化、経済効果だけを求めて企業も国も世界も血眼になっている。一方で、三十代のうつ等心の病が急増していると言う。何か変だぁ。疲れたという人々が何と増えていることか。引きこもり、ニートは、このような格差社会への静かなアンチテーゼではないだろうか。地球規模で環境問題が問われている昨今、自分自身の日々の生活に追われながら、「?」ばかりが続く毎日に病んで行く――。
 そんなするりと抜けていくような生活に、確固として杭を打ちたくて、小さな小さなでも確実に跡をつけたくて、
 『有機野菜作り』を受講して、早3ヶ月。
 ――思ってもいなかった事に気づいた―
 農作業の楽しさ、つらさ(炎天下・雨天)は、私に「元気」をもたらした。何と素晴らしい「心のエステティック」よ。
 都会の素晴らしさ。美しさも享受している「私」の新しい「田園生活」の模索はまだ始まったばかりだ。


露天風呂、最高でした!
P.N.穂先

不測の事態でみなさんより一足早く塾を去ってから3週間ちかくたってしまい、あっという間に都市の生活にのまれて「王国の日」はすでに遠いものになってしまったけれど、あれから農的くらしへのスイッチはいつでもすぐにできる、という自信、というか確信、ができたように思う。

すくなくとも、なりわいとしての「農業」でないかわり、ライフスタイルとしての「農」が塾体験をとおしてぐっと身近になったのは確か。

わたしのいまの仕事は「食の生産地と消費者をつなぐ」あるいは「消費者が食の生産にかかわる」運動の流れでたどり着いたところに位置する。この仕事をいつまでも続けるつもりはないが、仕事の任期が終わっても「農」的なライフスタイルはベースにもち続けたい、とあらためて思っている。

それにしても、毎回食事が待ち遠しく、ご飯がいつもおいしかった。ズッキーニの味噌汁もキュウリを塩でもんだ浅漬けも、露天風呂の近くで拾った夏みかんもおいしかった。露天風呂では最高のぜいたくをさせていただいた。ざあざあぶりの雨がちっともイヤでなかった。ぬかるんだ土の上を歩くのも苦でなかった。

つぎの機会に、マイ長靴を用意して、ぜひまた帰農に訪れたいと思います。


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