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帰農塾 参加者 レポート |
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
9月22日〜24日 里山帰農塾 秋 実りを味わう
2007.9.24 更新日 2007.10.10
里山帰農塾を体験して
M.W
今回の里山帰農塾に申し込んだのは、今後の自身の人生について考えるよい材料を得ることができれば、という思いからでした。他の参加者の方で、実際に「農的生活」を目指されている方がいらっしゃいましたが、私の場合は、
この三日間で、いわゆる「農的生活」というものを体験と座学で学ばせていただきました。
稲刈りはとてもハードな作業でしたが、皆で力を合わせて作業することの楽しさ、また単純に体を動かして土に触れることの面白さを感じました。作業後に頂いた食事もとても美味しく、働いた後に皆で頂く食事というものの単純な素晴らしさに気付きました。
また、畑仕事を体験する時間で、色々とお話しを伺いましたが、農作業は一時的な単純作業ではなく、長い時間をかけて行う、頭を使っていく仕事だということを発見しました。
これらの体験を通し、「農的生活」というものは、体と頭を両方フルに使う刺激的なものだという感想を抱きました。
ただ、これらの体験は、あくまでスタッフの皆さんが色々と心を砕いて準備していただいたもので、「農的生活」または、「田舎暮らし」の良いとこどりをさせてもらったに過ぎない、という思いはぬぐえませんでした。実際こういった生活を送ろうと思っても、踏み出す勇気がないというのが正直な感想です。
ただ、そういった苦しい状況であっても、他の人がどうやって希望を見出しているかということを座学(特に甲斐さんの講義)で知ることができたのがよかったです。マイナス面を踏まえたうえでの「農的生活」のしかたについて考えるよいきっかけになったと思います。
今後は、この「農的生活」のマイナス面の部分について興味が出てきました。経済面だったり法律面であったり、実際の社会問題として、今農業を営んでいる人達が面している事をしっかりと知った上で、今回の三日間で文字通り体験した「農的生活」というものについて考えてみたいです。
今すぐに田舎暮らしを始めることは難しいと思いますが、今現在の自身の生活を見つめなおすよい機会でした。
貴重な体験をする機会を与えてくださった講師およびスタッフの皆様、ありがとうございましました。
帰農塾に参加して
E.H
2泊3日のカリキュラムを終えて、1日1日の内容の濃さに満足しています。
単に農業実習だけでなく、座学が多かったということも満足の理由です。
また、その中での参加者の発言がすばらしく、みなさん知識が豊富なことにはいつも驚かされました。
私は、自給自足がしてみたいと思っていたので、多少のことは…と思っていましたが、講義の内容はどれも奥が深くて考えさせられるものばかりでした。
その中でも、人間の命は多くの命の上に成り立っているということが解っていながらも、きちんと実感としてもつことができていなかったということが自分なりにショックだったので、次の日の「ニワトリの解体」では、殺すところから肉にするまでを自分の手で行いました。途中、涙が出そうになることもあったりと、ものすごく印象に残る思い出になりました。
稲刈りの実習では、農作業の大変さがよくわかり、みんなで作業することの楽しさは、忘れかけていたことを思い出したような気持ちです。人とのかかわりの大切さや必要性など、再認識できたと思います。
本当に参加できて良かったとしかいえません!時間がなくなってしまったので終わります。
共同体の必要性
T.T
私はこれまで一人で自給自足的な生活をしてきましたが、その生活に不安を感じてこのたび帰農塾に参加しました。
稲刈りや鶏の解体など、実習により技術を教わったこともよかったですが、なにより今後の自分のプラスになると思ったのは、帰農塾で出会ったスタッフや参加者との関係でした。
これからも私は自分の考えで自分のライフスタイルを探していきますが、今後は仲間が居ることを心の支えとして生きていきたいと思っています。
土は誰のものか 2009.3.3 変更
PN.新羅津河
帰農塾に参加する人はいずれ農的な生活を目指している人が多いと思う。農的生活をするのに必要になるのが農地である。しかし、日本では農地法があって、そう簡単に農地を借りたり、買ったりすることはできない。仮に、農家の人が農地を貸すか売ってくれることに同意してくれたとしても、農地法によって市町村農業委員会又は県知事の許可を取らないと、借りたり、所有することはできない。このことに対し、日本人はもっと関心を持つべきではないだろうか。自分で食べる食料を自分で作るという最も人間として根本的な権利を国によって規制されていることに。
農家には耕作する義務はない。農家の昭和一ケタ以上世代の大部分は最初から農業に就き、農地は先祖からの預り物といった先代からの教育と、戦中戦後の経験が相まって、赤字と知りつつ、農作物を作って農地を律儀に守って来てくれた。そのため、農産物は常に過剰傾向から価格は低迷し、都市住民は安価に食料を得られた。しかし、次世代の農家の後継者は、他産業を経験した者がほとんどで経済感覚に敏感であり、損をしてまで農地を守り、律儀に耕作を続けるのか。今、日本の農地は曲がり角に来ている。このことに都市住民はもっと関心をもつべきだと思う。
以前、何かの本で読んだが、長野県のある農協組合長が、「農地は個人の物、土はみんなの物」といっていた。この組合長は農村の農地が放棄されていくのを憂いて、農地という土地は農家の私有財産かもしれないが、その上の土(食料を作る機能?)は未来の子供達から預っている財産として守って行くため、都市住民を含めてみんなで関心をもってほしいと訴えたかったのではないだろうか。
17世紀のイギリス人農業経済学者のアーサー・ヤングは「所有は砂を化して金となす」を言っていた。一方、アメリカ先住民はかつて、7代先の子孫のことを考えて生活を律し、土地の所有という概念を持っていなかったため、後から来たヨーロッパ人に土地を奪われ、居留地に追いやられた。
日本人は、これからどうすべきなのか。
「帰農塾に参加してNO.3」
Y.T
第3回目の参加(同窓会も入れると4回目)ともなると、なんだか、ふるさとに帰ってきた感じになるのが不思議である。五月に田植えをした稲も無事育ち、刈り取りをすることができた。その間、雑草取りや、害虫の駆除、水の管理、病気の心配等多くの人たちの手間と労力があったのだろう。それに感謝するとともに、この大自然、土、水、太陽がもたらす恵に感謝したい。この自然のサイクルが永遠に続くよう我々人間一人一人が自然を守る努力をしていかなければ、何時か自然から大きなしっぺ返しを受けることになると思う。もう受け始めているのかもしれない。自分ひとりが出来ることは微々たる事だが、常に問題意識を持ちながら行動していきたい。
今回も座学および実習をリードしてくれた講師の皆様および自然王国のスタッフの皆様に感謝致します。ありがとうございました。
「農」と言える日本
Y.O
最近、日本における農業の実情は想像を超えた問題になっているとよく聞く。過疎、高齢化、少子化などの影響が一番打撃を与えているのが地方、農村。又、グローバリズムによる価格競争の荒波の最前線にあるのが農業といわれている。そんな中で、日本において農業はどうなっているのか。そもそも農業に全く関わりのない自分にのって何らかのとっかかりがないかと探していて出合ったのがこの鴨川自然王国のホームページでした。
普段は自分の食べるものですら無頓着で、農的な生活とは一切接点すらない自分でも参加できそうだった事。そして、丁度何も予定がない三連休で行けそうだった事。そして何よりも東京から電車に乗ってちょっとの距離にあることによって自分が本当に興味を持った時に繰り返し行けそうだという事もあり参加を決めました。
で、来てみて三日間。座学を通して農的生活がいかなるものなのか。現状としての農業。そして実習を通じての稲刈り、鶏の解体。全てが新鮮で、何かと学びの多い時間を過ごす事ができた。
一方、不思議に感じたのが、こんな近くにそういったものがありながら、この三十年に全く出会う事がなかったという現実でした。日常の生活はおろか、会話の中にもそういったことが排除されている。一時はやった「そうだ京都に行こう」というキャンペーンの時に論じられた、日本文化すらすでに日本人にとってエキゾチックになっている様なあたり前と思われた事が非日常化している状況を改めてつきつけられた事が自分として今回一番得られた事だったのではないだろうか。
今回は、色々な方の話を聞くにつれ、依然、問題が多い、将来が見えないという事が農業の実体であるという印象を強く受けました。ただ、それよりも大きな問題としてはそれ以上に窮状自体が一般的な議論にもなっていない事だと思います。誰かの本にありましたが今こそ「農」と言える日本。農業について積極的に話しあっていく社会がもとめられているのではないでしょうか。
鴨川自然王国
ni-ni-m
思えば、もうずっと以前から、漠としてはいるけれど、はっきりとした思いに突き動かされて、いろいろなものを見、聞き、読み、体験してきました。ここでの三日間はとても楽しく感じた事、考えた事がたくさんありました。今は気持ちよく吹き抜ける風を受けて放心状態です。どのようなものを食べているか。何にお金を使っているか、使ってきたかは、人としての品性を問うものだと思います。そこには想像力が大きな鍵を握っていると思います。女たちの想像力や憧れがダイナミックな創造を生むと思うのです。過去に何かを見いだそうとするよりも、私はもっと自由に夢見たらいいと思う。男性たちと手を取り合って実現していけたらすてきです。
ウェルネスファーマーへの道
N.Y
2回目の王国的生活体験をさせていただき少しずつでは有りますが、体の反応(反能・原文)が正常に成って来たなと感じております。
体力に自信(自心・原文)がない私ではありますが、自分なりのウェルネスファーマーを目指して行けそうな気がして来ました。
この勢いを運営されている皆様に心より感謝申し上げますと共に、いつまでも新しい生き方の発信基地で有りつづけていただきたいと心より御願い申し上げます。
鴨川自然王国での3日間
H.C
初めてこのカリキュラムの内容を見た時には座学が多かったので面白そうだなと思いました。それも名の通っている方々ばかり。実際に面白かったです。日常では自分自身が農について考えめぐらしていてもなかなかそれを共有できる人は周りにいない(仕事先では別ですが)。情報社会といわれてはいますが、個々の見ている世界というのはまだまだ狭いと感じます。特に都市で生活している場合はいらない情報にふりまわされ、もっと知らなければならない事、知るべき根本の理というものが疎外されている様に思います。いつのまにかそこの所が外されて慌ただし消費社会の実体のない渦に巻き込まれているような……。もっとシンプルに、生きる基本(大きな循環の中に人間が生きている事、太陽と土と水と風があって成り立つ事など)を見つめていければ、いろんな意味で“楽”になれるのではと思うのですが…どうなのでしょうか?
座学を受けて、より一層そういう思いも強まりました。確信にもなりました。更に農という視点から取った社会のシステムなど知る事ができて勉強になりました。
が、問題はこれからです。今はちょうど変革期にある農に関わる諸問題をどう解決というか、これからの形をつくっていくのか、考えさせられます。私が勤めているお寺も農村部にありますが、後継者問題、耕作放棄地、荒れている里山…抱えている問題は同じです。甲斐さんの話されていた“村を守る”というお話しが、とても切実に頭に入ってきました。
集落、古民家、空いている土地、おばあちゃん、農に未来を見ている若者。……いろいろとキーワードはありますが、それをつなげていくネットワークをつくっていく事をしたいと改めて思いました。人が生きいきと生きている社会にしたいです。
帰農塾に参加して
K.S
食事はとても悲しい。厳かで、とても有り難く、言葉でなかなか表し難いもの。
鶏の解体を、鶏が生きているところから、料理としてテーブルに上がって食べるところまで、途中憶病な私はかなり遠巻きに見ていましたが、心に響くものがありました。
鶏肉は結構かたくてゴムみたいだったけど、その肉に、鶏の今までの一生がこめられてると思ったら、涙がでました。
改めて、私たちが日常、生きるために行う当然の行為・食事は、素晴らしい、命の連鎖で、とても有り難いし、命の重さを実感できました。
稲刈りは腰は痛いし、喉は乾いて、足ははまって大変だったけど、後で甲斐さんの講義で、お米の値段の下落していることが、どんなに理不尽なのか、考えさせられました。
露天風呂での2時間、あついトークとか、トラックの荷台に乗ったり、さつま芋掘りは宝探しみたいで楽しかったです。
仕事が楽しみであるというのはいいなと思いました。
何より、食事がおいしかったです。
帰農塾は二度目で、鴨川には何度も来てますが新しい感動を得ました。
まだ人生迷走中ですが、鴨川をひき続き、拠点の一つにして、自分の生き方をじっくり考えたいです。
つながっている実感
H.T
人間は、大きな傘の中で生きている。登紀子さんのお話で一番印象的な言葉です。自分という人間は、大きな地球規模的、生物的、歴史的なシステムの一部として機能しているという存在価値を少し実感できた気がします。都市で生活していると、どうしても断片的に一方的に物事をとらえてしまっていたのですが、座学に参加して、その断片的だった事象が、全て何かしら自分とつながっている実感を得ることができました。そしてこういう実感を得ることは、決して大きなことをやっていくことや、誰かのためとか大々的に行っていくことで得られるのではなく、一番自分に近くて一番見落としていた、日常の生活の手応え感を回復していく上で得られるものだということを確信しました。今までは本などを読んで予測はついていましたが、今回帰農塾に参加して確信となりました。
私が帰農塾に参加した理由は、精神科勤務で感じた、現代人の無気力感、脱力感、失望感の大きさに疑問をもち、生きる手応え感が必要なのではないかという仮説を元に、農業に関心を持ったことです。時間をかけずに欲を満たし続けてきたことによって、満足感を得られない、自分は何の役にも立っていないと思う孤独感、全てが断片的で自分の存在を考えられないんだと思うんです。自分自身のことも含めた考えです。命はつながってきて今自分が存在すること、たくさんの人々に影響されながら自分が育っていくこと、自然と自分はつながっていること、そういう実感を、帰農塾でしっかり得ることができて、大変嬉しくおもっています。
人が生きていくには、ある程度の考えというか思想が必要だと思っています。特に今のこの時代にはそう思います。だから、藤本敏夫さんの考えや、座談会などでたくさんの講師の方々からそれぞれの思想を聞く。そして自分の中で自分の考えを構築していく。そういう頭の作業と、もう一つ大切なことは、体で体験して心で感じるということです。楽しい、嬉しい、怖いけど気になる、笑う、よく働く、疲れる、よく食べる、よく眠る、そういう感じるという作業は、心にヒダを作ってくれるし、頭と心、思想と実感がつながるという体験になります。帰農塾は、そのバランスのとれた素敵な運動だと思います。今度は是非、友達も連れてきたいです。ありがとうございました。お世話になりました。
帰農塾 秋に参加して
K.K
帰農塾への参加は今年の春に引き続き2回目の参加となりました。今回参加したのは春の帰農塾の時に田植えをした田んぼの稲刈りをしてみたかったのと、鶏の解体に興味があったためです。稲刈りは自分で植えた苗が生長し実を迎えた時に自分の手で収穫出来た事がとてもうれしく、たのしく感じました。鶏の解体では自分で殺し、解体し、食べてみるという非常に貴重な体験が出来改めて、食物とはなにか、食べるという事はどのような事なのかを考えました。
今回の体験で将来やはり農業を営みたいと思う気持ちになりました。これから、自分なりに農的生活に向け少しずつ準備を進めて行きたいと思います。
秋の帰農塾に参加して
C.A
定年後の第二の人生を森作りと自然エネルギーの活用のNGO活動を軸に過ごしたいと考えています。活動を通じて触れ合う農民をさらに深く理解するために自分も農の世界の一端を学ぶ事が大切と思い、今回里山帰農塾に参加することでその一歩を踏み出しました。稲刈り、畑での種植えのいずれも初めてでその厳しさにたじろぐこともありましたが、回を重ねることで少しずつ慣れていくことを楽観しています。カマの使い方から始まり、いろいろな工夫、技術を学べるのが楽しみでもあります。
東京の自宅には庭といえるほどの土地がないので、まずは、プランターでハーブや初歩的な野菜の栽培を試してみるつもりです。帰農といえるほどの計画はまるで見えてきていませんが、私なりの農的ライフスタイルの一歩であることは確かです。定年から一週間以内にこのような塾に参加できて実にラッキー、気分はウキウキです。
石油と水の枯渇から世界に依存してきた日本の食に深刻な危機が訪れる日も遠くない予感があります。その日に備えて、日本人を支えてきた食糧生産、農的暮らしの知恵と技術を継承する事ができたなら、危機克服の重要な要素になるでしょう。その努力に少しでも参加できればと願っています。 |
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