|
|
|
|
|
帰農塾 参加者 レポート |
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
7月19日〜21日 里山帰農塾 夏
2008.7.21 更新日 2008.8.1
農的生活の創造へ向けて
S.H
7月20日(日)は、朝からいい天気で、畑作業の体験実習は汗がしたたる炎天下で行われた。ほんの2〜3時間程度だったが、『けっこうきついな』と言ふ自分と、『なんだまだまだやれるじゃないか』と言ふ二人の自分がいる。ジャガイモ掘りでは、思わず『子供だったら楽しいだろうな』という言葉が口から出た。そしてふと思った。
自分は子供じゃないけれど、子供じゃないか。
つまり、体験実習は、僕に子供に戻ったかのように作業を楽しませてくれた。技術的にも子供レベルということもある。しかし、子供にずっと農作業を続けていくことができるだろうか。やはり大人の知識や応用力あるいは先人たちの知恵を身につけていかないといけないだろう。そんな事を頭では考えながら作業をしていたように思う。
農に没頭する心境はどんなものなんだろう。何の世界でもそうだが、達人がすごく遠くに見える。
そう言ってばかりもいられない。千里の道も一歩からである。ここでの2泊3日の経験は確実に自分を飼えている。後ろをふりかえることも大事だが、もっと前を見すえてしっかりとした生活を創造していこう。
3連休の帰農塾
H.K
梅雨明けの3連休、世の中はどこへ行ってもごった返していることでしょう。私は三度帰農塾へもどってまいりました。当初から明確な目的があったわけではありません。ただここで、参加者の方々と時間を共有し、議論を重ねることが楽しみになっていました。スタッフの方々の視点は明らかにふだん私が接している社会とは異質のものです。そのことに大変新鮮なものを感じます。議論の中心が「農」であることはもちろんですが、そのことに終始しないことも魅力のひとつです。今回のカリキュラムの中で最も印象的であったのは二日目、午前中に行われた農作業です。上から見ると「ねこ」の額ほどの畑に15名が入ってアサツキとラッキョウを掘りおこしました。
ひきつづきうねを作ってニンジンの種をすじまきしました。これだけの作業です。しかしながら炎天下の作業とはいえ、ほとんどがねをあげてしまったのです。あぁ、見るとやるとは大違い。農作業の苛酷さを知らされることはめになりました。しかし、いまふり返ってみると、大変勉強になりましたし、とても楽しいものでした。おそらくこのような経験は他では得られないことでしょう。今回もまたきっと帰農塾にもどってくることになると思います。
最後に、口先だけ達者な私などを見捨てずに付き合って頂いたスタッフの方々、関係者の方々全員にお礼を申し上げたいと思います。
次の一歩
T.K
昨年十一月に続いて2回目の参加となりました。農作業が自分にできるかどうか心配しながらの参加でしたが、何とか第一歩を踏み出すことができました。今回、農作業の大変さを更に肌で感じつつも、地に足のついた充実感を味わうことができ、次の一歩に進めたように思います。今年はあと二回参加させていただく予定ですが、その中で、気負わず、無理をせず、自然体でかかわることができればと、そしてそれを楽しく感じることができればと思います。できそうな予感が少しするのがうれしいところです。
前回もでしたが、他の参加者の方々といろいろお話できたことも大きなおみやげとなりました。座学で様々なことを勉強して、実体験をして、交流しがあって、そして朝昼晩とおいしく食事をいただいて、日常見失ったり、気づかないでいたりする生活の原点にたちもどれた感があります。この部分をこれから少しずつ大きくしていけるよう意識して努めていって、それが「自然」となればなあと思っているところです。
どないしよう、これから
H.K
タイトル通り、そのまんまで、道草食っているのですが、ジグザクに歩いていれば、そのうち、振幅も少なくなり、十年後くらいには、一本の道になっているのでしょうか。余りあせらず、今のままで歩いて行こうと思っています。猫の額ほどの畑に、季節の花を野菜を植え、自分のうちからの流れに添う、生き方が出来れば幸せだなと思います。
――が枯れるのでもなければ、若い者に負けるかと云う気でもない、そこんところを、どう捕らえ、どう自分の中で消化し、どう表現し、なんて考えていると頭が痛いので山手います。痛いのが、どこまで暮らすかと云う事で、今だ「ここだ」と云う場所は見つからず、ここもいいネと云う場所がある程度。半農半XのXもこれから、時間はかかるけど、ボチボチ行こうかと云う粉とにしています。2回目を終了して、今日も帰りに何か、フト心に浮ぶのを楽しみにしながら、気持ち良く帰ります。何かこの鴨川の自然と、ここに集う仲間達に、エネルギーをもらって、元気になれます。余り考えんでも、どうにか、なる様になります。
里山帰農塾に参加して
Y.M
赤い建物・風の家の朝、うぐいすの鳴き声、にわとりや、ヤギの声で目覚める。外は緑のカーテンのように見える。普段は車の騒音や目覚まし時計の音で起き出しているので、里山帰農塾が癒しの空間のように感じられる。
初日の高野先生から、安いものが良いという消費者がいる流通システムの話をお聞きし、自分の意識を反省。脱石油のカギは水素という興味深い事も伺う。星野先生からは農業と農の違い、「農業の収入で息子(ママ)が大学に通っている頃が大変だった。でも農業は楽しいですよ」の話が印象に残った。
甲斐先生の鳴子プロジェクト、農家からの米の買い取り値段を決めて運営していく取り組みを知った。日本各地の情報が聞けるのは楽しみ。
里山見学でのいろんなプロジェクトを説明して下さる石田さんの笑顔にはなんだか明るい未来が見えてくる。
畑業では王国スタッフの皆さんの暖かい気持ちが伝わり、王国野菜で食事を作ってくださる石井さん、美味しくて、ついついおかわりし、なかなかダイエットできません。
お世話になり有難うございました。将来のヒントが得られた気がします。
「帰農塾に参加して」
K.A
7/19より里山帰農塾に参加した。横浜からの時間が読めなかったので早めに家を出て、集合時間より1時間半も早く着きそうになり、途中の千枚田をながめて時間をつぶした。普段全く見えることのない、自然の中の人間の営みを見て言葉にならない思いがわきあがって来た。都会生活に疑問を感じ、自分が自然に生まれている事を日々感じながら生きたり、資本主義の、人間のエゴを土台としたシステムの中ではなく、より自然な人と人とが支え合って今のような中で暮らしたい……。色々な思いをもって今回参加したわけだが、単なる都市生活者の私にとって、この里山帰農塾の存在はとても有り難いものであった。単なる田舎暮らしや就農の案内ではない、日本の“農”をとり巻く問題や、自分の目指したい有機農家の現実等々、頭から入るタイプの私にはとても参考になる内容であった。
現在、日本も世界も行き詰まりを見せている。常識的に考えてもこのような破壊型の社会が続いていくとはとても思えない。それら問題がいかに引き起こされ、大手メディアによって人々にどのように伝えられているかはその道の専門家にお任せするが、それらがもう避けようのない状況にあるとしても、私はその解決策は都市ではない、農的生活の中にあると思う。日々ネガティブな事しか報道されない中、私は今回の帰農塾を通して見た“農”とともに生きる生活に活路があると見た。お互いに支え合うという日本の古き良き伝統と若い人を中心とした新しい感性の出合いによる大きな流れが生まれつつあると確信した。願わくは私も少しでも早くこの流れに身を投じ、農的生活が実践できる日を願うばかりである。
最後に鴨川自然王国の皆さん、共に参加された方々へ。非常に有意義かつ、とても楽しい時間をありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにしております。
追伸
宮田様、ご飯のお米は“間”をとって五分づきでどうでしょうか?ご検討ください(笑)
私の帰農塾
S.S
今までに劇的に自分の思考をかき回される出来事が何度かありましたが(いずれも本を読んでいた時でした)、今回の帰農塾に参加して、またそれが起きました。それは、今までの凝り固まった価値観や意識が崩れ落ち、動揺を感じますが余計な荷物が取り払われたような高揚感があります。今はその興奮が冷めませんので、うまく言葉にする自信がありませんが…。
私は、私の個人的な悩みやモヤモヤを解決するのも、地球が持続的に平和でいられる為にも、農的な暮らしという方向性に間違いはないと思っていました。が、日々の暮らしの中に埋没していると、そんな感覚は抑えなければ成立しませんでした。考えてることは正しいはずなのに、何故できないんだろう…。それはいろんな要因がありますが。けれど帰農塾に来て、農的暮らしでたくましく生きてる人をただ“見た”ただ“話した”というだけで、今まで分らなかった何かを感じることができました。意識よりも脳が感じ取ってくれたと思います。
鴨川を発ったら、あの街での暮らしが待っていますが、前とは違う、農とのバランスを探り始められるような気がします。希望を持って。
ゆったりとのんびりと
A.H
夫の定年を機に移住を夢みる私たち夫婦。その線上で今回の帰農塾に参加させていただいた訳ですが、講師や参加者のお話を聞き又現地での生活の実際を見聞きする中で視野を広げることが出来、旅行で訪れることでは得られない地元との交流の場が与えられたことに感謝です。
まだ具体的なことは何も決まっていませんがあまりきよわず、ゆったりと生きていける場を見つけたいと思っています。
もちろん鴨川も大いに気に入りました。
三日間楽しかったです。ありがとうございました。
「生活」
Y.H
少しですが農作業をして感じたことは、
「私の頭と心と体はずいぶん離れているんだなぁ。」
ということです。体を動かすということは、この三つが、何というかつながっていて、よいコミュニケーションがとれているということが大事だと思うのです。だけど、私の頭と私の心と私の体の関係は、なんだかちぐはぐしてアンバランスだということに気がつきました。具体的に言うと、「身体」が切り離されていたという感覚です。
そしてそれは大昔から続いてきた人の営みの中にあるのではないか、と思いました。それは、野菜を育てたり、料理をしたり洗濯をしたりすること、つまり生活そのものです。だけどそんな当り前の生活が、今すごい勢いで変化していて、人はずいぶん無理をしているんじゃないかという気がします。
だから今はそんな「昔ながらの生活」を見直す時であると思います。そしてそんな生活は、私にはとても尊いものに見えました。
里山帰農塾に参加して
K.M
自己紹介で始まった帰農塾で、最初に感じたのは皆さん、しっかりした動機を持って参加している印象を受け、気後れからのスタートでした。しかし、座学が進むにつれ、個々の人間性が垣間見え楽しい物になり、座学も自分の未知の世界に触れられ、久しぶりの頭の栄養になりました。
ただ途中の睡魔との闘いはきつい物がありましたが。登紀子さんの話の中の人間と星、まっすぐに立った人間関係、すごく納得致しました。また鳴子の話。農だけに限らず色々な事に通づる話と興味深く聞かせていただきました。
私自身としては、これから帰農塾のイベントに参加して、他の色々な作業を経験していきたいと思っています。
最後に、一人一人の持つ物指しの違いが楽しめた三日間でもありました。楽しかったです。感謝。
※ まとまりのない文章になってしまいました。すみません。
「農的」って何か?
Y.S
帰農塾は別世界だった。足下にはいつも土と草と蛙。天には山と風と星。屋外でみんなでとる食事。川名さんが分けてくれたスモモ。全てが川崎には無いもの、コトで、入るのにとまどいを覚えるような世界だった。
なぜこのような差違が存在しているのか、という疑問は、今解決していないし、これから先しばらく考えることになるだろう。食べる人とその食べ物を作る人(育てる、採る、加工する人)との距離が鴨川では近い、ということが大きな要素ではないか、とは思っている。
里山帰農塾に参加した理由の一つとして、「明るい未来のビジョン」を得たい。ということがあった。コンピューターの発達した都市の末路、というような近未来像はたびたび提示されてきたが、それに抵抗しうるような、生きたいと思わせるような未来像を自分の中に思い描くことができずにいた。しかし、この三日間に見えた自然王国とその周囲には、そのような新しい未来が垣間見れるような気がする。グローバルには悪いニュースばかり見えてくるが、無数のローカルな社会からは、希望が立ち昇ってきているのではないか。それらの新しい社会が寄り集まって大きな流れになっていきそうだ、と思うことがでた。
これから自分がどのように「農」と関わっていくかはわからない。でも、加藤さんの言葉を覚えておこうと思う。「食べる、洗う、眠る、という日々の生活自体が農である。」
自己本位、自己満足に陥るのではなく、でも自分がしっかりと生きていくこと。
「農的」へ
Y.S
大量消費、大量廃棄の生活から脱け出したいと思っています。「農的暮らし」にヒントがあると思っていますが、ではどうしたらよいかで、なかなか進んでおりません。今回の研修では「自分の自給率を上げる」ということが印象に残りました。ベランダでのプランターでの野菜作りから始めて、家庭菜園を借りるとか、田んぼオーナーになるとか、その気になれば、いろいろ道がある、自分がやろうとする気になっているかということが問われているのだと思いました。いきなり「農業」と言われても、腰がひけてしまいますが、「農的暮らし」と言われる方が、私のようなものでも、少しずつ近づいていけるかなあと思えます。あんまり気張らずに、またあきらめずに、少しずつ「農的暮らし」にシフトしていければよいと思います。
スタッフの皆さん、講師の方々、参加者の皆さん、お世話になりました。
「ベランダの 野菜で上げる 自給率」
「あの土と あの顔届く 野菜便」
「あきらめず 失わないで 米むすび」
楽しく行動すること
M.T
農的生活へのあこがれを漠然と持つようになって何年か立ちますが、書物やウェブページを沢山見ているだけでも何も行動を起こすことなく時間が過ぎていました。
ある書物にかかれていた一言
「稲作は一年に1回しか体験できません。」
がきっかけとなり、今年は様々な農業体験のセミナーやイベントに参加するようになりました。それからは、稲や大豆や野菜の実際的な農法が中心であったため自分が持っていた、農的生活へのあこがれとは、少し方向が異なっていたため自分の中で違和感が生じていました。そんなときこの帰農塾に出合い参加することにしてみました。
帰農塾では、業として農にかかわっていきたいと考えていた自分の考え方がまだあいまいであっても問題ではなく、自分がどのように生きるかを自分で決める事が大切で、その中に農をどのように位置づけていくのかという点から始めようという気持ちを与えてくれました。
特に実際に脱サラ就農された星野さんの話は興味深いものがありました。
また参加された方々の話もひじょうに参考となりました。特に楽しく農をしていくということに関しては、講師の方を含めて全ての人から学んだ気がします。考えるだけでなくまず何か一つ行動を起こそう、しかも楽しくというのが今回の帰農塾で私が決めた事です。
帰農塾に参加して
H.Y
迷いの数ヶ月。何かにすがりたい、何か新しい道はないのか…。心身ともに疲れ果ててしまっていたのか、逃げごしの毎日でした。
そんな時、ひょんなことで出会った帰農塾。
でも電車に乗るまで、行って何が変わるのだろう、やることは山ほどあるのに…家族のことも心配…。いろいろな思いが頭をかけめぐり、迷いに迷っていました。
だけど一歩踏み出した瞬間、まだ、何も始まっていないのに、来てよかったんだ…と思ったのはきっと何か予感のようなものがあったのかもしれません。
農にたずさわる方々の話を聞く、その苦労、喜びをほんの少しだけ体験させていただく。自分の日常とは違う世界。感心したり驚いたり…。
参加されていた方々とのおしゃべり。皆それぞれ、いろいろな思いを持ってここに来ていらっしゃることを知って、自分だけではないという心強さを持ったり・・・。
そして何より、ここで教育について語り合える人がたくさんいたこと。それらが、私に教育に対する若い頃持っていた情熱を思い返させてくれました。
一人で大きな一歩を踏み出す勇気はありません。でも、エンデの「モモ」に登場する道路掃除夫の言葉のように、足元をしっかりきれいにしていけば、いつの間にか長い道路もきれいになっていく…の気持ちで、目の前の子供たちと、一日一日を大切に楽しく気持ちよく過ごしていきたいと思います。まだまだ、やれることはたくさんあります。
思いはまだたくさんあるのですが、綴りきれません。今一番伝えなくてはいけないことは参加してよかったです。ありがとうございました。の言葉です。
テレビでしか知らなかった加藤登紀子さんのお話を聞くばかりでなく語れたこと、とてもうれしかったです。心に残るいくつものお話、ありがとうございました。今後のご活躍を心より応援しています。
日本の農業の未来は明るい?かも
S.T
最近に限らず、ずいぶん前から新聞、TVその他で様々なニュースに触れるたび、日本も世界も、そして地球も破滅の道をたどっているんだ。あーあ。自分は、あと数十年でいなくなるけど、身近なところでは中・高校生の甥、姪の将来は、これから生まれてくる子どもたちの未来は、一体どうなっちゃうんだろう?それより前に、あと何年こうやって、まともなご飯が食べられるのだろう?とけっこう絶望的だった。それでも明日は確実になってきて、ご飯を食べなければ生活できない。それなら自分で作ればいいんだ、と得意の脳天気な思考?で、自分で食べる物ぐらいは自分で作ろうという結論に至る。(前置き長すぎ)
さて、自然王国の里山帰農塾の高野孟さんのお話では、東京都の食糧自給率は、1%。やっぱり、と思う反面、自給できてるんだ、という驚きと。ご本人の高野さんの自給率は買うのは肉と魚くらいで、かなり高いとのこと。ふき茶、スギナの天ぷら、スギナのハーブティなど、いろいろ教えていただいた。スギナが食べられるなんて知らなかった。上下水とも敷地内で完全完結。すごい!エネルギーだけは、まだ思考中とのことだが、今後どのようにしてエネルギーを自給するのか期待してます。
それにしても、昨年の「4ha以上作らないと農業政策の対象にしてあげない」という農業改革?の話は、知らなかったでは済まされない。お米を作れば作るほど農家は赤字という悪循環のシステムは以前から知っていたけれど、ひどい!ひど過ぎる。一方で大資本による大規模な、星野春樹さんの言葉によれば「生活の場ではない、生産だけ」の農業がもう始まっている。生産者の顔なんて、どこにもない。恐ろしい変化がどんどん深まっていきそう。田んぼにも畑にも生き物の影も形もない気味の悪い、稲や野菜の息づかいすら聞こえない。消費者の存在も無視されている。
でも、星野さんのように「農業はおもしろい」と言い切って、自分のやり方を貫いている方がいる。甲斐良治さんのお話にでてきた宮城県の「鳴子の米プロジェクト」の例のように死にかけていた農業を生き返らせた方たちがいる。ずっとずっと頑張っていただきたい。NPO法人の「かみえちご里山ファン倶楽部」の若者たちのような、農業に忘れずに目を向け続ける人たちがいる。現に自分たちの周りにも、将来は農業をやりたいと、たった一人、自分の考えで米作りを勉強しに着ている中学生の女の子がいる。第一、この私だって自分の食べる物を作り始めているではないか。そして鴨川自然王国の存在は、勇気の源。
そうやって真剣に、あるいは、ゆったりと農業の一端を担おうとしている人たちがいる限り、その方たちが「来年も作ろう」という気持ちが続くような環境がある限り、農業はこれからも続いていくはず。自分でまいた種が芽を出した時の感動。すくすくと育っていくときの喜び。私の人参が食べられるのは秋だろうか。私の希望の人参。あきらめない。未来は明るいと信じよう。
|
|
|
|