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帰農塾 参加者 レポート |
KINOUJUKU SANKASYA REPORT
11月22日〜24日 里山帰農塾 冬
2008.11.24 更新日 2008.12.10
「地域との繋がり方」
A.A
春・秋と続いて今回で3回目の帰農塾。春のときは内房への移住直前で、まだ地域とどう関わっていくのか考えていませんでしたが、半年経つ今では町おこしのイベントをどうするか考える輪の中へ入っていました。
帰農塾でヒントを得ようと思い参加し、前回同様、林さんのお話に感銘を受けました。物事の考え方や発想が肩に力が入っていないで力がある。教えられる事、考えさせられる事が沢山ありました。
これからもっと地域と関わる機会が増えていく中で、自分の考えをしっかり持ち発信しなければ…肩の力を抜いて、視野を広げ、柔らか頭にしておこう。
あまり積極的ではないけれど、自分の出来る範囲で可能な限り地域と関わり、数少ない地元の若い世代を巻き込んで一緒に地域について考えていこうと思います。
想えば叶う何事も、楽しくなけりゃ人生じゃない!!をモットーに始まったばかりの海辺暮らし&カフェ経営&自然農と称した放置農の畑をやっていきます。
様々なヒントを頂き、ありがとうございました。
自然王国に参加して
H.T
特定の目的・目標を持って参加したというより、自分が楽しめるものを広げたいという気持ちで参加しました。棚田の風景・農作業を楽しもうと思っていたのですが、座学・スタッフ・参加者・地元の方々とのふれ合いがもっとも印象に残り、楽しい時を過ごすことができました。普段は日々の生活に追われて、自分を見つめ直す機会というのはなかなか少ないのですが、これからの人生を考える上でひとつのヒントになったような気がします。
ひとつの信念の基に人生を送るのは素敵なことだと思いますが、大多数の方が悩み迷いながら時を過ごされていると思っています。いろいろな試みをくり返し、失敗し、同時に日々の生活を大事に積み重ねていくのも悪くないのではないかと思い始めました。いろいろな方と交流をもち、自然の循環の中での農業・林業を自分の生活の中に取り込んでいくやり方を自然体で見つけていきたいと思っています。模索の状態がまだまだつづくのではないかと思うと気が遠くなりますが、自分自身の声に耳を傾けて探していきたいと思います。
とりとめのない話になりましたが、最後にスタッフの方々のきめ細かな配慮がたいへんありがたく感謝しています。これからもいろんな企画を期待しています。
「藤本敏夫氏の思い」
Y.F
二〇〇八年十一月二四日、今日は私の五九歳の誕生日でした。丁度ひと月前の今日、横浜から妻と二人でここの記念館を訪れました。そして、今、二泊三日の帰農塾の最後の時間のレポート作製となりました。結論。参加してみて大変良かった、ということ。人生の後半の出発、そのきっかけとして凄く良かった。
第一に。二泊でも私の“あこがれ”の早寝早起きができた。しかも早朝の朝靄の中で静に大好きな“たき火”もできた。普段は交替制勤務で生命のリズムと逆行した日々を送っているので、ここに来て、これからのあるべき生活を垣間見せてくれた。
第二に、プログラムの全てが私は面白く、乾いた砂に水が吸い込まれるように、胸の中に流れて来た。塾長・高野氏、農文協の甲斐氏、小熊氏、ありがとうございました。実習の炭焼きと山仕事(小原氏)、そば打ち(井上氏)それに玉ネギ植え。夜の交流会、そして林氏や高野氏など移住して来た人達の住まいとライフスタイル。又、釜沼北地区の先輩(古老)の方達の炭を焼く元気な姿。三〇代、四〇代の移住者と古老達(村人)との、一歩ずつの“つながり”を感じさせられた。面白い。
第三に。今回の参加者十五人、それにスタッフの方々と交流できたこと。これは得がたいことでした。大阪から来られたMさんのスバラシイ、ショパンのピアノまで聴けました。我らが“四分間のピアニスト”に感謝します。そして石井さんら毎回、うまいうまい食事を作って頂きありがとうございました。納豆と生タマゴは超最高でしたよ。もちろん、他のメニューも。
最後に。司会の田中さん。ありがとうございました。藤本氏は入獄する前にそれまでの左翼と違い全国のいろんな人と会い、“農”の道を決めていたこと。学生運動の総括として。そんなことから藤本氏の農への思いを自分なりに改めて感じさせられました。これからその思いをおおいにぬくめ大切にして行きたい。
王国での学び
H.A
参加のきっかけは、青年海外協力隊でザンビアに行く為、少しでも自然や農業に触れてみたいという単純なものでした。しかし、実際に参加して得た発見やヒントは期待以上のものでした。
まず、本で読んだり人から聞いて知っていること(理解していること)は、体験することにはかなわないと思いました。炭焼きで火をおこす時の煙は目にしみたし、木を切る時のこぎりをひくのは思いのほか力が必要で大変だったし、細い玉ネギの苗を植えるのには倒れないよう注意が必要でした。こうしたことは自身が経験することによってわかることで、だからこそ記憶に残るんだろうと思う。
また、若い世代が田舎に帰ろうとしているという事実が、同世代の私にとってとても衝撃的だった。経済的な豊かさを求めて日々努力しても、そこに「幸せ」がなければ意味がないのだと、皆気付き始めているのだと思う。そのとき人は、「人間の基本の営み」に帰ろうとするのかもしれない。私自身、ザンビアに魅かれたのはその衝動によるところが大きかった。途上国の人々は貧しい、可愛そうと言われるが、本当にそうだろうかと思っていた。確かに物質的には日本と比べると豊かではない。でも日本にはなくなりつつある大自然や子供達の心からの笑顔、情熱的なダンスや音楽があるし、とにかく人々は明るく自殺者はいないと聞く。日本の自殺者がとても多いことを考えると、必要なのは経済的発展ではなく、精神的成長な気がする。
最後に、アワマネーという発想をとても面白いと思った。物だけでなく、それぞれができることを交換(提供)することで、人々がつながり、コミュニケーションが生まれる、素晴らしい手法だと思う。人とのつながりの大切さを痛感するとともに、人が物質的豊かさからは得られる充足感には限界があるのだと思えてならない。結局人は、人(他者)との関係で幸せを感じたり孤独を感じたりする生き物なのだと思う。そう考えると、アワマネーは大きな可能性をひめていると思う。
一所懸命に結びついたご縁と生きる事
H.K
里山帰農塾で、真面目でおかしい講義を受け、山仕事や様々な実習を体験させて頂いた。大変有意義だったが、やはり、私にとって一番の価値は、『鴨川』という土地に縁があって先祖代々から住んでいる方々、移住してきた方々の生活に、わずかな時間でも直接触れることが出来た事だ。
スタッフとして、3日間食事を中心になって作り続けて下さった石井さんを始め、議事進行役の田中さん達の姿勢は正に、この鴨川で生きる姿の一つであったし、小熊さんのビジョンを高く強く揚げる力や、浅田さんやきんざさんのお話など、色々な縁があってこの鴨川で結びついた縁の具現化されたものだった。
私は、一応若者の部類に入るが、住む土地や共に暮らすご近所さん等、ご縁は良い面(支え合う等)もあれば、裏返せばしがらみになると思っているが、そのご縁こそ、今の人生や生活にとって、欠けている物事だとつくづく思う。きんざさんの里山や炭焼き人生は、正に一所(生)懸命だし、林さん然り。今回一緒に仲間になった参加者の皆さんとつながたご縁も、私のこれからの人生の大切なご縁と捉え、大切に生きていきたい。
そして、来春の新しい土地、そこで出会うご縁も、私にとって必要なタイミング、必要な形で、自分の目の前に現れると信じている。
最後に、スタッフや仲間の皆さん、今回は誠にありがとうございました。そして、これからも宜しくお願いします。
里山帰農塾に参加して
K.Y
私達夫婦は田舎ぐらしを考え始めたのですが、きっかけがないのと、年令も高いし、もし病気したと思うと、なかなか前に進まずその時に、帰農塾で体験して少しずつでも、農業の有りかたを習って、自分達の食べる物は作って行きたいなと思い、そこの土地の人達にふれながら住居をさがしたいなと思い、炭焼きに興味をもって、自分で作って、パンを焼きたいと思っています。
でも、私の主人はどちらかといいますと、マイペース主義で人と人とのコミュニケーションが出来ないのでそれが、不安なのです。
それ以外は、小さいころから農業の仕事を手伝って来ているので、ひととおりは出来るのでこういうかたちでは参加しないのですから、私がこれからいろいろな事にチャレンジして、行き少しずつでも、田舎ぐらしにちかずいて行きたいと思います。
今回の帰農塾に参加して、感じる事は一日目の午前中の話は私には長くてはっきりいってよい印象はなかったです。やはりもっと実習をしたかったです。
里山帰農塾に参加して。
Y.K
倒産に近いかたちで店をたたみ、独立三十年近く営んできましたが、金銭的に何も残らず、ただゴミだけ、それを整理する途中で来た帰農塾。
送られて来たパンフレットを見て、これは昔の農村問題研究会の現代版かなと思い止めようかと思いました。
でもとにかく初めての三日間。一歩だけでもふみ込む事にしました。
来て見ると、何とエネルギーに満ちあふれ、強く自分を主張するでもなく、やんわりと主張して行く、若者を発見しました。
特に林さんは、生活全てが(話す事、生きる事)アジテーションの様に思い、うんそうだ、俺にもと一瞬思いました。
つられてはいけない、俺も自分流の里山生活が出来るはず、まず草刈りをし、耕地を再生しようと思います。まず一歩です。そこで亡き父親と会話し、農の事を思い出したいと思います。俺自身忘れかけていた、父親を思い出した事が一番かな。帰農塾の講師、職員の皆様にありがとうございます。
レポートなどパスしたいです。
「帰農塾に参加して」
Y.M
会社生活もあと数年となった。以前より定年後どうするかを考え漠然とだが農という事を考えていて前回帰農塾に参加し、実際に帰農した人々の話を聞き又実作業として稲刈り体験をした大変な作業であったが充実した3日間を送る事が出来た。今回2回目の参加でき以前にもまして帰農塾者の話、炭焼き体験等全て初の体験で面白く過ごさせていただき、ありがとうございました。塾生の方々との真剣な思い、将来の夢等大いに参考になりました。炭焼きの現役の方々の話も勇気づけられたし色々なヒントをいただいた有意義な3日であった。前回も書きましたがこの3日間テレビ新聞の無い生活でも全く不自由しないし更には夜の星の多さには久しぶりに感動しました。又機会があればと思います。最後の日のMさんショパンのピアノ演奏ありがとうございました。最後にスタッフの方々ありがとうございました。
学びの多い帰農塾
C.Y
これから人生のヒントを学びたいと里山帰農塾に参加するようになった。ここでは生きてきた環境も年令、そして職業も違う方達が参加しているので、ディスカッションの中のひと言が、心に響き、力になる。
講座と実習が共に体験出来、既に里山で生活を始められている方の話も聞く事が出来るのも魅力である。林良樹さんの家を訪問し、地域の方と交流しながら、廃屋状態の家を土地の木や土を使って見事な家を造り、安房マネーを使い、知的障害者の方達の憩いの場を作り、彼の農業をしながらのコミュニケーション作りのパワーに圧倒された。私にも地域に帰り、何か出来るんじゃないかなと思えてきた。
初めての炭焼きを教えてくださった小原さんそば打ちの井上さんに感謝。
星が輝き、まるでプラネタリウムの中にいるような夜空を見た鴨川自然王国。自然の大切さを教えられた。帰農塾生のMさんのピアノ演奏、感動しました。ありがとう。
参加してよかった帰農塾
H.K
愛宕山(四〇八m)は千葉県の最高峰です。都道府県別の最高峰では栄えある全国最下位にランクされます。航空自衛隊入間基地の嶺岡分屯基地内にあり、予約をしておかないと勝手に登れません。金北山に似ていますね。因みに、同名山名で愛宕山は城山、丸山についで第三位です。南山麓は酪農発祥の地ですが、鴨川自然王国は北斜面にあります。思い起こせばちょうど一年前、大山千枚田を目指せばよいものを、勘を頼りに稜線上の道に迷い込み、急な狭い坂道を下るはめになりました。しかし、あれはあれで探検気分もあり楽しかった。気がつけば、あれからもう5回目の帰農塾になります。スタッフも参加する人もユニークな方が多いので、とても勉強になります。実習で、そばや豆腐が簡単に作れることもわかったし、稲や野菜の植え付け、収穫もぼんやりと頭の中で形になりつつあります。でも、農的生活をするには、その土地の風土、習慣になじみ、人間関係を築いていくことが一番大事なんじゃないかと感じました。今後何かの形で自然王国にかかわっていこうかって考えています。地の方々とは束の間の交流でしたが意義深いものでした。
〜農村、いやしの空間(林さんの言葉)〜
四回目の参加
T.K
農的生活が自分にとって可能かどうかが不安で昨年の十一月始めて参加して以来、四回目となりました。田植えは経験できず、今回のスケジュールが二度目です。これまでに少なくとも一歩二歩と歩み出せた気がしていましたが、同じ事を二度という貴重な体験を今回させて頂きました。炭焼き・間伐・玉ネギ定植・ソバ打ちと全てが前回の経験よりも自分自身により身近になり、仕事の手順の理由など理解できたところがいくつかありました。安房マネーや循環型生活ということもより深く理解できたように思います。棚田の風景も生活がその背後にしっかりとある美しさとして見えてくるといいなと思いました。最終日の炭焼・お宅訪問は、伺っていたお話が現実のものとして体験できました。座学もこれまでと同じように多くのことを教えていただき、とても充実していました。
そしてスタッフの方々や参加者の皆様との会話の中でも多くのことを教えていただき、これからの生活にいかして行きたいと思います。若い方々の前向きの姿勢にも感動しています。
ありがとうございました。
農的暮らしへの第一歩に向けて
T.K
今まで東京、横浜の都市で生まれ、育った私が農的暮らしを志すこととなったのには様々な理由がありますが、大きなきっかけは子どもの誕生、そして父の死があると思います。その頃を境にこれまでの生活のあり方に大いなる疑問がでてきました。最初は漠然としたものでしかなかなく、なぜこの様なモヤモヤした気持ちなのかよく分りませんでした。でも心の中の霧を一気に晴らしてくれたのは、兵庫県にある大森昌也さんがつくった「あ〜す農場」での日々の営みです。全てが繋がっている、循環している暮らし方が、如何に自分の都合での暮らしが分断され、全体が見えないという危うい基盤の上に成り立っているのかを教えてくれました。そして、直接自分が関わらないものへの多大な依存で、自らの魂が枯渇するのみならず、多くの国々の人々、生き物、更には地球が悲鳴を上げている…。もう経済一辺倒の視点から脱却し、全体を見渡せる、土に根ざした生き方をしたいと切に願うようになりました。縁があり、この鴨川自然王国に通い始めるようになり、多様な考え方、試み、ライフスタイルに触れ、勇気と希望を与えられます。来年は自分自身の一歩を踏み出したいと考えています。
最後に講師の方々、王国のスタッフの方々、帰農塾参加者の方々にお礼を述べさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
「自分らしい暮らしをめざして」
M.S
今回、春に続いて二度目の参加となりましたが、前回にもまして有意義な三日間を過ごす事ができました。世代や職業を超えた人たちとお話しする中で改めて感じたのは、皆さんそれぞれが、何らかをきっかけにして「自分らしい生き方や暮らし」を模索しようとしたり、見つめ直そうとしたり、実際に取り組み始めていたりしている事でした。そして、それが田舎であったり、自然であったり、農業などの共通した興味とつながっているせいか、自然となごやかムードで会話が弾む雰囲気が、今まであまり味わったことの無い雰囲気で結構気に入っています。(笑)
私個人としては、こちらで良い刺激を受けつつ、南房総のどこかで自然に暮らす事を漠然と夢みる夢子の状態から、現実問題として立ち塞がるお財布事情や年々老いてゆく両親の事や自分の老いについて考え始めると、なかなか抜け出すことができずにいます。
とはいえ、自分にとって本当に心地よい暮らしや生き方が少しずつですが具体的になっているのも事実です。「眺めの良いお風呂」や「薪ストーブ」、「犬を飼う」などなど…「いや、そんな世俗的な話ではなく!自然の中で丁寧に慎ましやかに暮らしたいのだ!」…「いや、やっぱり寒いのは困る!」…「予算はどうする?」…「う〜ん」…そんな自問自答を日々の生活を通じて繰返しながら、少しでも理想を現実に近づけられるように、楽しい夢を見ながら毎日をもう少し大切に過ごして行きたいと思います。
里山帰農塾初参加雑感
A.A
今日のメニューのうち、炭焼、そば打ちは魅力的だったが三万円でこの二つなら、既に参加を決めていた娘に教わればいいかなと思っていましたが、他の用事で代々木の実家に帰ってきた娘に誘われ、開塾二日前の夜に急遽申し込み。ダメだろうと思っていたのにすぐにO.Kの返事をいただき、初参加ということになりました。
いざ参加して分ったのは里山帰農塾の本当のメニューないし目的は一つ一つの体験実習そのものにあるのではなく、実習を通し、又参加者、講師、スタッフの皆さんたち、もちろん地元の古老の方たちとの直に接し、話しながら自分の生き方、日本の方向、地球への思いを考えるということだったのではないだろうか。
私が自治体議員になろうと決めたのは、当時国も地元自治体も大政翼賛的になり、その流を止めるほんの小さな捨て石になろうということでしたが、議員になり仲間ができるうち、日本の社会のあり方そのもののいびつさ、人々の考え方を変えていかないといけないと考えている多くの若者たちに出会った。彼らは日本にも緑の党を作らなければならないと考えて、世界中の考えを同じくする若い人たちとネットワークしていた。私も緑の党を観念
としては理解できるのですが、実際の生活とか、日本をその方向に変えていく方法となると茫然として現実感がなく一昨年はオーストラリアのエコヴィレッジに二泊していろいろ説明を受けてきたが、広大なエリアを買い取って理想の村を作って同志の人を呼び込むようなやり方は日本では不可能で終わってしまっていた。
しかし今回の参加者で鴨川自然王国そのものの姿、実践、里山歩き、地元の人たちとの触れ合いを通し、最後に林さんの話をお聴きし、日本にも緑の党ができるというイメージがはっきり持てたのが何よりの収穫でした。
そしてここに参加する人たちは日本に緑の党ができた時には支え手になる人たちなのではないだろうか。
「里山帰農塾へ参加して」
Y.M
里山帰農塾、申し込んだ時には、本当は、あまり期待していませんでした。
理想と現実の乖離というのは、消費者運動や生産者団体の中に飛び込んで関わり合ってきた中で嫌というほど見せつけられていたので、開講前日にも、「空しい想いをするくらいなら、やっぱり行くの止めとこうか」と幾度か反芻したほどでした。
けれども参加してよかったと頓に思います。
皆さんしっかり何かしら御自身の基軸を持っていらっしゃる、定めようと努力していらっしゃる、その姿が、自己紹介が始まるや否や感じられ、決して偽りではないことばのほとばしりに心を打たれました。
SorosとPhilanthropyという設問からGeorgia問題、ひいては世界の展望を絶望視してしまう傾向にある私には、自分が音楽で志してきたことは、なまじ米国音楽界の実力者と協力関係にあった過去があるが故に、911を未然に防げなかったことで彼方に葬られたと感じて、「音楽は死んだ」(パトロンと制約、
TVでいうところのスポンサーと制作側の自主規制という意味。)と絶望してきましたが、JICAの青年海外協力隊に応募してアフリカに行くと決断してしまう若い彼女の行動力や、証券会社に勤務なさりながら、誠実に人生を模索していらっしゃる方のことばを間近かに見聞きして、心を揺さぶられました。
高野さんに突っ込みができなかったのが心残りですが、加藤さんのアトリエでピアノに触れる機会を与えて頂いたことも含めて、自己を見つめ直すよい契機となった三日間でした。
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