田中正治
田中論文
新年の悪夢というよりは正夢ー若者は暴走するか?
■text:田中正治
■date:2007.1.16
”格差社会”が流行語になっている。まあ、いつの世も格差はあるものだし・・・、
と流せないマグマが、若者たちの中に渦巻き、世の中を地すべりさせていると感じております。
★「論座」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E5%BA%A7
(論座)
朝日新聞社発行月間雑誌「論座」
2007年1月号の「丸山真男をひっぱたきたい(希望は戦争)」をご紹介しましょう。
筆者は赤木智弘さん。いわゆるワーキングプアー状態の31歳、フリーター。「プレカリアート」化する若者のぎりぎりの声です。
http://www7.ocn.ne.jp/~gensosan/20060729.htm
http://d.hatena.ne.jp/kyoto_jack/20061210
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-July/008111.html
彼は言う。「我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何の救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げたの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、そうした流動性を生みだしてくれるかもしれない何かー。その可能性の一つが戦争である。」
「私のような経済的弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。
そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎのないものになっているのだ。
戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つものが何かを失う」から悲惨なのであって、「何ももっていない」私からすれば、戦争は悲惨でもなんでもなく、むしろチャンスとなる。」
「しかし、それでも、と思う。それでもやはり見ず知らずの他人であっても、われわれを見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな願望を嘲笑い続けるとしたら、その時私は、「国民全体が苦しみ続ける平等」をのぞみ、それを選択することに躊躇しないだろう」と。
この戦争願望の心のそこにあるのは・・・・「バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私達世代の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きて行くことになるだろう。
一方、経済成長著しい時代に生きた世代の多くは、我々にバブルの後始末を押しつけ、これからもぬくぬくと生きて行くだろう。なるほどこれが「平和な社会」か、といやみの一つも言いたくなってくる。」という心情です。
「経済成長著しい時代に生きた世代」、既得権を守る労働組合、公務員そして平和憲法を守れ!と既成の価値観を後生大事にして、今の体制を守っている左翼やジャーナリズム、学校の教師等くそ食らえ!と言い放っていると読めるでしょう。
赤木智弘さんのこうした考えはちょっと特別でないの?と思われるかもしれません。しかし、ここに2006年7月毎日新聞の世論調査があります。(ASEED・JAPAN「種まき」12・1月号)
「小泉首相の靖国神社への参拝は良いことだ」−20歳代46%(世代別3位)
「今の憲法は改正する必要があると思う」 −20歳代63%(世代別1位)
「アメリカ大統領選でブッシュの再選を望む」 - 20歳代27%(世代別1位)
「イラクへの自衛隊派遣に賛成する」 −20歳代51% (世代別1位)
この調査結果を見ると、20歳代が、「右」へシフトしていることがよくわかります。
一昔前には考えられなかったことですね!
★
ASEED・JAPANN
http://www.aseed.org/
ASEED・JAPANの白石 健さんが、このフリーター問題を分析しています。ASEED・JAPANは、ネットワーク農縁の新庄田の草取りツアーを8年間企画してきた20歳代を中心とした青年環境団体です。そのニュースレター「種まき」(12・1月号)で白石 健さんは、次のように述べています。
「一昔前までは、社会変革を志す者は「左」に引き寄せられていました。しかし、現在、安部首相が「戦後レジームからの脱却」を掲げるように、「右」の側が積極的に変革を掲げるようになってきました。
一方の「左」側が「憲法九条擁護」「教育基本法改悪阻止」を唱えるのとは対照的です。
経済的にも同じです。弱者配慮のために規制を守れという「左」と既得権益として規制を壊そうとするネオリベラリズムの構図ですね。
つまり、社会変革を妨げる勢力として「左」が位置づけられ、「右」は改革者としてのイメージを獲得することに成功したともいえるでしょう。」
「ここで彼らのいう「左」は、いわゆる社民・共産的な「伝統的左翼」だけではなく、平和運動や女性運動・環境運動などの市民運動全般をも含みうるということです。」
そして、更に「左」の意味を小熊英二著「癒しのナショナリズム」から引用して次のように付け加えます。
「日本社会の実態が戦後民主主義の理念からほど遠いことは誰でも知っている。その中で空洞化していかざるを得なかった「左」の言葉は、もはや若年層の大部分にとっては、社会にとって実感出来ない言葉、学校や本のみで教えられる言葉、言い換えれば「教師の建前」としか感じ取れなくなっているのではないか。」
ここまで来て、僕は自分の若かった頃ー1960年代をはたと思いだしました。当時の社会の常識や掟の欺瞞、教科書や教師の言葉の嘘っぽさ、建前と実際との乖離、これらへのいらだちや怒りが、既成の秩序に対する反抗・反乱に導いていったのですが、それは今も程度の差はあれ同じだと思われます。この意味では僕は、赤木智弘さんに共鳴・共感します。
ただ、違うのは、1960年代は反抗が、そうした欺瞞と秩序の根幹である国家と資本の権力にストレートに向かったのに対して、現在の若者の反抗が、ストレートに国家と資本の権力に対する反抗に向かわずに、屈折している点にあります。「経済成長著しい時代に生きた世代」、既得権を守る労働組合、公務員そして平和憲法を守れ!と既成の価値観を後生大事にして、今の体制を守っている左翼やジャーナリズム、学校の教師そして弱小の他民族をターゲットにしているのです。
日経連(現在は経団連と合併)が1995年に「新時代の日本的経営」という本を出していて、その中で「今までの雇用を三つのタイプに分ける」とハッキリ言っていたのです。
第一に「長期蓄積能力活用型」という、いわゆる終身雇用。第二に「特殊技能型」という契約や派遣で特殊な技能を持っている人の雇用。第三に「雇用柔軟型」というパートとフリーター雇用。小泉政権はこの構造に法的根拠を与えました。
いわゆるワーキングプアー、「プレカリアート」層は、この使い捨てパート・フリーター・非正規労働者なのですから、経済界や政府権力に攻撃の矛先を向けなければならないはずです。にもかかわらず、なぜ攻撃の矛先を別のところに求めるのでしょうか。それは、資本や国家の権力中枢を攻撃してもびくとも動かず、攻撃した本人が逆に傷つくだけだと感じているからではないのでしょうか。だから、逆に権力中枢を盾にしながら、弱そうなところを攻撃して、そこから自身の分け前を取ろうとしているように思われるのです。だが、その個人に対して権力中枢と戦えと言っても、それはいささか過酷でしょう。パンチ力の有る集団の力がやはり求められます。個人として問題をたてている限り出口はないはずです。社会的集団のパワーしか、解決の扉をこじ開けることが出来ないのではないのでしょうか。
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フリーターズ・ユニオン
http://a.sanpal.co.jp/paff/outline/(「PAFF・フリーター全般労働組合」)
摂津 正さんは僕の若い友人で、フリーターの労働組合の副委員長をしているのですが、付き合ってもう6年になります。いわゆる労働組合のリーダーという感じではなく、とてもナイーブで、傷つきやすく、眠れない夜を過ごす、もの静かな青年です。30歳くらいで、文字どうりワーキングプアー状態。生活できないので両親の家に同居していて、アルバイトをしながら、”
あかね
”という溜まり場的ライブハウスの責任者をしていますが、経営は赤字で四苦八苦のようです。
同じワーキングプアーでも、赤木智弘さんとは違って、屈折していずーというか恐ろしい数の屈折を経た末にかもしれませんがーいまや、ストレートに問題の本質を見つめている、ように感じられます。
「フリーター全般労働組合06執行委員会からのご挨拶
私達は、「誰でも1人でも加入出来る労働組合」として、フリーター・非正規労働者、正社員・失業者層も含め不安定な生活を強いられている労働者(以下プレカリアート)で組織されている労働組合です。
今、私達は大きな問題に直面しています。それは、雇用の不安定化です。若年労働人口に占めるプレカリアートの割合は既に半数を超え、全労働者レベルでもその割合は4割に迫っています。この層の特徴は劣悪な労働条件と全般的な無権利状態の恒常化です。
私達は、正規労働者とプレカリアート層の間に横たわる格差を是正、「均等待遇」を求めて運動を行います。雇用・労働保険など正規労働者には当たり前に適用されている諸制度・権利を完全に適用させる。このことは現状の法制度の運用を厳格に行えば可能です。更に、同じ仕事をすれば雇用形態に関わらず同じ賃金・待遇が当たり前の社会を目指します。その為には、アメリカ・財界などの利益を大切にし、海外ではイラク戦争など侵略戦争に参加、国内では社会の二極化を加速させ、私達に一方的な犠牲を強いる現体制との闘いは欠かせないと考えています。
みなさん、私達の置かれている状況は決して個人の「自己責任」ではありません。明確に社会のあり方の問題です。私達は、自らの現状を変える為に各方面の人々と連帯し、個別の労働・生活問題の解決から社会への働き掛けなど力の限り奮闘する決意です。互いに手を取り合い共に頑張りましょう!
2006年7月 フリーター全般労働組合 執 行 委 員 会」
★僕の意見
現在、一部のエリートを除いて、若者総体が社会的排除の対象となっています。多くの若者は大学を卒業しても、人材派遣会社に就職せざるを得ない状況に、それは現れているでしょう。その社会的排除の背景にあるのは、グローバリゼーションがもたらしている国際競争の激化です。中国やアジアとの市場競争に直面して、工場のアジアへの移転による雇用の激減とサービス産業化による低賃金・不安定雇用構造、そして、大企業がそれまで聖域化していた労働配分率の切り下げに手をつけることによってしか、かろうじて成長できないという現実が、若者の経済的排除の原因になっています。いわば、強烈な格差社会が、経済成長の条件になるシステムが形成されてしまっているのです。
社会的包摂の仕組みであった日本的経営(終身雇用制、年功序列制、企業別労働組合)が、バブル崩壊と同時に崩壊し、いまや巨大な排除の装置が回っているのです。
そこではどうするか?
一方では、フリーター全般労働組合の主張のように、資本と国家に対する社会的な闘いを広めることが重要でしょう。・・・・を守れだけを言っているのではなく、ラディカル(根源的)に状況を分析し、社会的に論争を巻き起こし、双方向コミュニケーションの波紋を起こして行くことが必要でしょう。その結果、その先に、資本のグローバル化がもたらす災禍と闘うNGOなどのグローバルなネットワーク「世界社会フォーラム」等との連携によって、資本に対する大きな逆包囲網に参加することも、パワーアップにつながるはずです。
しかし、そうした抵抗のネットワークを作るだけではなく、他方で、ワーキングプアー状態でも生活していけるような、生活のセイフティーネットを作ることが必要だと思います。例えば、格安の共同住宅(家賃3万円以下の)を管理運営するNPOの立ち上げ、食料の共同購入・産地直送グループの形成、格安の共同炊事場・食堂の運営、地域通貨による商品・サービスの相互交換、問題解決型コミュニティービジネスや社会的起業をサポートするシステム作りなど、社会的排除に対抗する社会的包摂のためのプロジェクトのネットワークが、もう一つの解答ではないでしょうか。「連帯経済」「社会的経済」「協同組合」等と「世界社会フォーラム」でも話題にされる資本のグローバル化に対抗する、いわばサバイバルのためのアソシエーション(協同的連合)です。
フリーター全般労働組合が、それらのさまざまなプロジェクトを支援者(サポーターズ)とともに立ち上げる方法も考えられるのではないでしょうか。
ところで、ワーキングプアー状態は、形態こそ違え農村でも起こっています。消費者米価は下がってもいないのに、生産者米価は底なし沼のように安くなリ続けています。米を作れば作るほど赤字になっているところが増えているのです。農耕放棄地や貸与地が急速に拡大し続けています。農民の不安はここ数年強くなっていることは、付き合っていて痛いほど感じます。米価が1俵=¥8000にまで下がったら・・・・・・もう、ほとんどの稲作農家は”ええかぜんにせい!”と心理的にも完全にプッツンするでしょう。ほんの一握りの農家以外米を作らない。いや作りたくとも作れない状態になるのは目に見えています。自家飯米用以外は。
しかし、歴史を振り返えるなら、危機はチャンスでもあることを証明しています。
1970年代、有機農業に固守した農家は、農協と対立し、村八分の烙印を押されながらも、それを逆バネにして、都市消費者と産消提携・産直という世界でもユニークな方法を編み出し活路を見出しました。その結果、現在、有機農業が時代の牽引車になっています。
1990年代の初め、3反以下の零細農家80万戸は、政府によって農民ではないと切り捨てられました。切り捨てられた農家は、生き残るために自前で「農産物直売所」を作り、そこに活路を見出しました。現在、「農産物直売所」は全国で10000箇所、売上高5000億円にのぼっています。
2006年、10ha以下の北海道の農家、その他都府県の4ha以下の農家の切捨てが始まりました。切り捨てられる農家は、どのような活路を自ら開くのでしょうか。
消費者と生産者のお互いの顔のみえる産消提携、産直、インタネット産直、直売所、地産地消、これらがやはりキーワードなのでしょうか。いやもっとユニークな活路が編み出されるかもしれません。
都市で社会的に排除された人たちと農山村で社会的に排除された人たちが、相互扶助・協同のネットワークをめぐらし、お互いに支えあえる、次の時代の創造的な仕組みがつくれないものでしょうか。
このような社会的包摂の相互扶助・協同のネットワークは、社会的に切り捨てられた都市若者の戦争願望のエネルギーを、国家と資本への闘いへのエネルギーに変えうるだけでなく、社会的に切り捨てられた農民の戦争願望のエネルギーを、国家と資本への闘いへのエネルギーに変えうる場を提供することになるのではないでしょうか。
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