田中正治
田中論文
「農の21世紀システム」
■text:田中正治
■date:2004.3.11
「農の21世紀システム」
物質系一生態系一文明系
・近代工業文明の基盤の崩壊現象
・地球環境、地球生態系破壊の原因
・環境と文明
・リービッヒとマルクス
・太陽エネルギー経済(1)
・太陽エネルギー経済(2)
・工業の農業化又は工業のエコシステム化
・農の21世紀システム
1.物質系一生態系一文明系
1)
生物は、DNAに蓄積された遺伝情報に基づいて、環境から取り入れた物質・エネルギー
を変換することで、生体を形成して生命活動を営んでいる。同時に、生物は、生体内で発生するエントロピーを廃熱、廃物として生体外に排出することによって、一定の秩序状態に維持している開放システムである。
2)
植物は、太陽エネルギーを吸収し、水、C02など無機物質から炭水化物という有機物質を合成している。この光合成によって形成された炭水化物、ビタミン、ブドウ糖、蛋白は高エネルギー、低エントロピー物質である。草食動物は植物に貯えられたその炭水化物をエネルギーにして生命活動を行ない、肉食動物は、その草食動物を摂取することで生命活動を展開する。それら物質代謝は、エントロピーを増大させ、廃物、廃熱を生体外に排出するが、それら廃物は微生物による物質代謝に利用される。有機廃物は、微生物によって分解され、無機物に還元されるか、有機物質を創出して土壌に放出される。それら放出された無機物や有機物は、再び植物の根から吸収され物質代謝するのである。
3)
このように太陽エネルギーを固定する生産者である植物、消費者である動物、そして分解者である微生物という物質一エネルギー循環を生物は形成しているが、それらは開放定常系の生命活動なのである。
4)
生態系が、このように物質・エネルギー循環をさせながらエントロピーを生体外に排出していても、なお開放定常系を維持しえているのは、生態系の外部環境一物質系も開放定常系であるからである。大気、水、土壌など無機的自然からなる地球物質循環も、生態系から受け取ったエントロピーを最終的に宇宙空間に排出する定常系であることによって、全体として地球上の生命活動が可能となっているのである。宇宙が膨張していることによって輻射熱は希薄化され、地球からの放熱が可能になっているといわれている。
5)
地球は開放定常系としての膨張宇宙に存在する開放定常系であり、気圏、水圏、地圏から構成されているシステムである。物質に関しては閉鎖システムだが、エネルギーに関しては太陽エネルギーを取り入れ、同等のエネルギーを宇宙空間に放出することでエントロピーを減少させる定常開放システムであるといわれている。
6)
地球内物質循環には大気循環・水循環・養分循環があり、大気循環と水循環は地表に存在する余分の熱エントロピーを宇宙に放出し、地表の熱エントロピーを低水準で維持している。ところが、山地から平地へ、陸地から海洋へ、海洋から深海へと水は流れる過程で養分ミネラ/レや有機物を移動させ、その結果をほおっておけばすべての養分は深海に移動し、すべての生物は消滅することになりうるが、実際には養分豊富な深海水は湧昇する海域が生ずることによって引き上げられ、海水がこれら豊富な養分を世界の海に回遊させ、魚が生育する。それらの魚を食べる海鳥が陸地に糞をし、その糞で昆虫がまた成育する。鳥はこれらの昆虫を食べ・山地の森に糞をする。このように深海から陸地一山地へと養分逆循環が起こっていることによって生態系が存在しえている。
7)
膨張宇宙を基礎にした地球の物質循環があり、その物質循環を基礎にして生態循環があり、さらに物質循環とその生態循環を基礎にして人類の文明系の循環が成立している。太陽エネルギー、水、大気、土(ミネラル)やそれらを基盤にした植物・動物・徹生物などの物質・エネルギーを自然環境から取り入れ、人間はそれらを労働を媒介に社会的生産物に変換して、人工の社会的物質エネルギー循環を形成してきた。
8)
産業革命以前の社会では、生産物の消費後の廃物や廃熱は、地球の物質系や生態系に深刻な影響を与えたわけではない。したがって、自然は無限とみなされていた。産業革命以降の資本主義社会が地球レベルで深刻な影響を生態系に与えているのは、資本主義の社会システムが、第一に人間を人身的隷属関係から解き放ち、物質的関係に人間社会の基礎を置き換えたからであり、第二に化石燃料、特に石油という特殊なエネルギーに依存しているためである。人身的支配隷属関係が基礎になっている社会では、生産の必要性はその関係の再生産の粋での局地的なものであった。他方、経済的支配隷属が祉会の基礎になっている社会では、資本の自己増殖にたいする人身的制約はない。形式的には自由で平等な貨幣と労働力商品との交換によって、資本は、無制限な自由な運動の基盤を獲得したのである。
9)
資本制経済の爆発的成長の原動力になった石油というエネルギー源の特異性は、第一に労働生産性が極めて高いことである。動植物の死骸を太陽エネルギーが固定変換して化学エネルキーにする効率の悪い過程を、数億年の時間が熟成した緒果、生産性の高いものに変化させていった。そそいでいる太陽光が分散型で、集中型エネルギーに適していないのに比較して、数億年で熟成した太陽エネルギーの凝固物(石油)は、集中型エネルギー利用の工業システムに適合しうる。第二に石油、原子力、石炭に比較して廃物エントロピーが低い。エントロピーが低く労働生産性が高い森林から、高エントロピーの石炭への移行が、資本制経済の生産性に制限を与えたのに対して、低エントロピーの石油はそうした制限のたがをはずした。第三に液状であることによって、体積のエントロピーが小さく、輸送が容易であることによって、世界システム化への道を容易にしたのである。第四に地下に埋蔵されているために、森林エネルギー利用のように生態系への依存をまぬがれており、その結果、生態系にそぐわなくとも地下から掘り出し、利用することによって、自立した経済システムである資本制経済に適合できたのである。
10)
資本制経済の爆発的成長の原因になった石油エネルギーは、同時に資本制経済衰退の原因ともなっている。石油は低エントロピーのエネルギーであり、またそうであるがゆえに大量生産、大量消費、大量破棄のシステムの中で大量消費が成されると人工的物質循環=文明系の外に排出される廃物一廃熱も膨大なものになる。実際、石油化学資本は、自然界に存在しない人工物質を無数に、かつ大量に生産してきた。例えば、メタンの構造を一部入れ替えたフロンという夢の物質(不燃、安定、無臭)や、便利このうえないプラスティックが発明された。化学農薬と化学肥料と石油動力は農民を重労働から解放するなど、産業と人間の日常生活のすみずみまで行き渡った石油化学文明を人間は享受した。だが、他方で、同時に、石油に依存する生産―消費システムが排出する廃物、廃熱エントルピーを処理不能の状況に陥れることによって、文明を成立させている地球の物質系と生態系を危機に陥れるたのである。生態系と異なって、この人工物質循環−文明系は、エントロピーを減少されるシステムを内包していない。系の外部から物質−エネルギーを取り入れ、加工し、系の外部に大量の廃物と廃熱をエントロピーとして放出する定常開放系である。現代人が作りだしたこの石油をエネルギーとするこの人工物質系の工業文明は、文明の外的存立基盤である地球のメインシステムである物質系、生態系を劣化、崩壊させ、その結果、自らの存立の基盤掘り崩しているのである。
2.近代工業文明の基盤の崩壊現象
1)
人間が自然に働きかける労働過程は、人間が自然との物質−エネルギー代謝を自分自信の行為によって媒介し、コントロールする過程であるが、この行為によって人間は外的自然に働きかけ、それらを変化させると同時に、人間自身の自然(身体)をも変化させる。
2)
文明の基盤は自然と人間であるが、今日の工業文明はその規模が地球全体の自然と人間を包摂するにいたり、文明の二つの基盤そのものを自らの運動によって崩壊させつつある点にその特異性がある。近代工業文明の一方の基盤である自然の劣化、崩壊現象は、a)地球環境の劣化 b)鉱物資源の限界 c)化石燃料・エネルギーの危機 d)農業食糧基盤の劣化としての現象している。
3)
近代工業文明のほかの基盤である人間については、生物種としての人間の危機とその精神の危機、および資本主義システムの危機として現れている。すなわち、a)人工爆発、生物種としては異常な人口爆発 b) 生物種としてのヒトの生理的内部崩壊現象 ガン、エイズ、生殖不能率の上昇 c) 情報の異常過多による精神障害、精神病の増加現象 d) 人間の天敵の復活−ビールス、エボラ熱、O-157、結核などの増加(これらの原因は人間の免疫低下による) e) 近代工業社会の価値観の基礎になってきた科学知に対する根本的な信頼のゆらぎ f) 資本主義の根幹である大工業の利潤率の構造的低下と工業社会そのものの衰退現象
4)
今は、生物種としての人間の肉体的精神的異常現象と内的崩壊については間題にしない。また、経済システムのなかで起こっているダイナミックな変動は実に興味深いが、別の機会に述べたい、ギリシャやローマなど過去の偉大な文明の多くが、外的攻撃によるよりも内的原因によって、精神と価値観の衰退、システムの統合力の解体によって消滅してきたことは留意されてよい。ここでは近代工業社会の価値観の基礎になってきた科学知のゆらぎについて少しふれておこう。
5)
近代工業文明を他の文明と区別する特徴の一つは科学文明であるということである。 真理を体現する神を否定した代わりに、科学こそ真理を解明するとの確信のもとに、科学方法論に立脚し、科学の体系をつくりあげて、それを工業文明の基礎にすえてきたのである。モンテスキューの政治学、スミスの経済学、ガリレオ、ケプラーの天文学、ニュートンの力学、デカルトの哲学、ダーウィンの進化論、べ一コンの哲学など近代社会の基礎概念、自然観、方法論、世界観、社会観、人間観など、これら資本主義の発酵期の知的巨人達の科学的成果が現在の人間と社会の常識、つまり文明の知的基盤になっているのである。
6)
しかしこれら科学文明の基盤は、20世紀初頭、資本主義の燭熟期に入って、根底から揺らぎ始めた。科学の最先端、理論物理学会内部のアインシュタインの相対性原理とハイゼンベルグの不確定性原理をめぐる1920年代の科学世界の論争は、論理的に古典物理学を一気に過去のものにしてしまった。他方、第二次世界大戦をめぐる核爆弾製造への物理学者達の関与とその結果にたいする衝撃は、科学知に依存することそのものや科学知そのものの成立根拠への疑問を顕在化させた。科学方法論の欠陥はどこにあるのか。科学は真理を解明しうるのか。科学の限界はどこにおかれるべきなのか。科学知に代わる知はなににおかれるべきなのか。17世紀〜18世紀古典科学が解明した自然観、世界観、人間観、社会観の基本の崩壊が20世紀初頭から始まっており、この30年間にそのスピードはアップしている。近代工業文明を支えてきた古典科学の崩壊と科学知そのものの揺らぎは、この文明の衰退と次の文明の産みの苦しみの表現でもある。
a)地球環境の劣化
森林の消失による生命循環、水循環、炭素循環の破壊、地下水の大量使用による水循環の切断、化石燃料の大量使用による炭素循環の破壊、オゾン層の消失による海洋食物連鎖と生物免疫の劣化、酸性雨による土壌劣化と窒素、硫黄循環の憤乱、水系汚染、海洋汚染、土壌汚染、大気汚染、核汚染などによる水一土壌一大気循環の劣化と生命循環の切断、砂漠化の世界的進行などが地球環境間題としてあげられよう。これらの諸現象の本質は、グローバル化した近代の工業文明一人工的物質循環の運動が放出する廃物一廃熱のエントロピーが、植物、動物、微生物という有機的構成要素、および大気、水、土壌という無機的構成要素の物質一エネルギー一循環を撹乱し、劣化させ、破壊しているということ、つまり地球のトータルシステムである物質系一生態系の循環を撹乱し、劣化し、破壊しているということである。従って地球環境問題に対する対応は、人類がこの緑の惑星に生存し続けようとするならば、単なる原因物質の排出規制や生態系の保護にとどまらず、地球の物質系一生態系の物質一エネルギー循環に調和するように今日のグローバルな社会システムを、その規模のみならず、なによりも質を変革することが不可避なのである。
b)鉱物資源の限界
工業は資本主義システムの核であるが、その工業を支える最重要物質は生物資源とともに化石資源、金属鉱物資源でる。図1「主要金属の埋蔵量と生産量」をみると、工業製品の基礎になっている金属資源一鉄・アルミ・銅・亜鉛・鉛の耐用年数が短かいことに驚かされる鉛12年、亜鉛21年、銅33年そして鉄97年である。これだけを見ても工業の衰退が21世紀前半におこらざるをえない根拠があるとみてよいようにおもわれる。いずれにせよ、人類は鉱物資源の埋蔵量からみても工業の質と量を革命的に変革しなければならないようだ。
工業生産の絶対量を減少させること・すなわち、大量生産、大量消費、大量廃棄システムを少量生産、少量消費・少量再利用システムに変えること。さらに、その質を変革すること、すなわち、化石燃料の生産・消費を激減させ、天然資源系素材利用に全面的に転換すること、工業の質と量を革命的に変革することが特に重要な要素になるだろう。
C)化石燃料・エネルギー危機
図2.「世界のエネルギー資源埋蔵量」によれば、石油の可採年数は約50年、天然ガス65年、石炭219年となっている。可採年数については未確認埋蔵量もあるし、また使用量の増減に大きく左右されるわけだから、それほど根拠のあるものとは考えにくい。むしろ化石燃料の使用は炭酸ガス、亜硫酸ガス、酸化窒素など燃焼廃棄物の蓄積過程によって限界づけられる。つまり地球環境を劣化させ、生物と人間の生存の危機を進行させる度合いによって限界づけられるのである。実際、219年の可能採掘年数があるとされる石炭は石油と比較して著しいエントロピー増大物質だからなおさらである。石炭を地下に封印すること、石油化学生産を急速に縮小し、太陽系・水素系エネルギーと生物系素材への転換を急ぐこと、エントロピーが比較的少ない天然ガスを一部過渡的資源として利用しながら、太陽・水素系エネルギー、生物系素材への水路を整えることが課題となっている。
d)農業食料基盤の劣化(図3参照)
1847年、ドイツの化学者リービッヒが、植物が土壌から吸収する栄養素のすべては無機物であり、従って無機質肥料がその栄養素の代替になることを立証して以来、特に1950年代以降、化学肥料全盛時代が到来した。その時、略奪農業批判一循環型農業という彼の主張は忘れられていた。1950年頃までは、世界で新たに開発すべき耕地の余地は充分存在していたので、化学肥料は有機肥料の補助的位置にあっても、食糧需要増大に対応することができた。だが1950年代以降の爆発的な世界的人口増加は、世界的な化学肥料の爆発的拡大を促進した。なぜなら、新たな大規模な耕地の開発は消滅していたからである。
図4によると、1060年から1980年までに、1ha当たりの収穫量は約1・0トンから2・5トンに急増した。化学肥料は世界農業の機関車となった。資本制化に伴う都市化が要求する人口増一食糧需要に対応する収穫量の噌大は、化学肥料の大量使用をてことして農法の転換をもたらした。種子がかえられた。在来種がF1種に変えられた。F1種は化学肥料や水の吸収率を良くすることによって、収穫増を結果させるが、他方で、化学肥料の大量使用は、植物が過剰な養分を体外に排出するため、それらを養分として集まる害虫の増加に対応するための農薬の大量使用を不可欠とする。また水の吸収率をあげるための灌概設備の完備を必然化した。F1種を独占する種苗資本の農民支配は農作物の単作化一地域特化を促進した市場システムに対応したものであった。大量生産は巨大都市形成の基盤となり、化学資本にタイアップした機械資本による工業化農業を必然化させた。商品としての農産物の生産、販売のための投資型の農業、すなわち資本制的市場型農業が主流となったのである。その結果、一方では、農業機械と化学肥料一農薬は農民を重労働から「解放」したが、他方では、この40年間の農薬による農民の死亡は数知れない。太陽と大地の恵みに感謝しながら生をまっとうしてきた農民は、自然を支配し搾取する農民に変貌した。農薬、化学肥料の大量投与は土壌の微生物や小動物を殺し、農民は土壌のミネラルバランスをくずしてきた。そして、ついにオールマイテイーに思えた化学肥料の大幅な拡大が世界の穀物生産量に反映される時代は、1984年で終止符を打つことになる。1989年にはUSA、西欧、旧ソ連、日本、中風などアジアの大部分では、化学肥料の増大が増収効果が頭打ちになる水準にまで地力が低下してしまったのだ。
3地球環境、地球生態系破壊の原因
地球環境、地球生態系破壊の原因は何なのだろうか?
第一に、人間による人工的な文明系というサブシステムを物質系、生態系という地球のトータルシステムにうまく接続できなかったことである。
第二に、その原因は資源一自然を外部不経済として計上せず、収奪し、大規模な浪費経済システムを人間がつくりあげたことにある。資本制経済は投下資本が剰余を伴って回収されることによって資本循環が成り立っている経済であり、その場合、投下資本の回収(商品価値循環)こそが「至上命令」であって、価値循環が終了してしまえば、それに付随する生産―流通―消費過程での(廃棄)物質循環には無頓着だった。なぜならそこからは商品価値を生み出さず、資本の浪費になるだけだったからである。資源―自然は外部不経済として計上されず、収奪の対象にしか過ぎなかったからである。
第三に、その浪費経済を促進したのは、特殊に高度な生産性をもつ石油の、大地からの大量収奪、使用による大量生産、大量消費、大量廃棄システムと、さらに、巨万の利潤を追求した工業と工業化された農業における大規模な新技術の応用およびその副作用にたいする無頓着な化学技術の応用である。
第四に、石油化学工業を基盤にしたグローバルな資本主義システムと生産力主義的国家社会主義システムにある。
4.環境と文明
1)
メソポタミヤ文明、黄河文明、ギリシャ文明などの衰退が、森林の破壌と農地の拡大、土壌の劣化に起因している事は良く知られている。にもかかわらず、近代産業革命を起こしたイギリスが、国内の森林を破壊したにもかかわらず文明の衰退におちいらなかったのは、なぜか。新大陸アメリカの森林を収奪して産業革命のエネルギー源に利用し得たからである。
2)
アメリカは、今日のグローバル資本主義のモデルを作り上げたが、その特異性は石油という特殊に高度な低エントロピーエネルギーに依存することが出来たからである。アメリカは広大な土地と労働力とのギャップを、アフリカ人の奴隷によって埋める一方、他方で、工場の流れ作業、互換性部品システム,農業の機械化を1800年代中頃につくりあげた。長距離輸送は汽船と汽車で解決した。化学肥料と化学農薬の大量投入と機械利用によって農業の工業化・資本制化を一気にすすめた。20世紀から始まった大工業におけるテーラーシステムは、石油エネルギーの大量投入と電気利用による工場での作業効率上昇をもたらしたが、同様の価値観と労働観は、今日のアメリカ農業を完全に支配している。単作化、水と石油、農薬と化学肥料の大量投入、機械化による投資効率アップがそれである。投下した資本を短期間で回収することが農業経営の必須条件であり、地力が喪失し、耕作が不可能になる前に投下した資本を回収できるかどうか、さらに、利潤があげられるかどうかがもはや、唯一の関心事になってしまっている。そういうわけで、地下水の枯渇、土壌汚染、表土流出、砂漠化など文明の基盤の崩壊現象が顕著に現われていることにたいして、統御できる社会経済システムを持ちえていないのである。農業にたいする工業の論理の支配、農の論理の工業的論理化は、不可避的に文明の基盤を崩壊に導くことになろう。
図5参照。
5.リービッヒとマルクス
1)
マルクスと同時代、1800年代中葉に生きたドイツの農学者リービツヒは、文明史的視点から資本主義農業一収奪農業にたいする批判を展開した。従来の有機農業にたいして、彼はそれが自給自足農業である限り間題はないが、しかし商品作物を作る前提にたてば、地力を劣化させ、従って土壌成分の補足が必要であり、人造肥料がそれを可能にすると主張した。植物は有機質でなく無機質を吸収するのであるから、無機質の人造肥料こそ適切であり、そこから人糞からの解放・輪作廃止・作付の自由化・配合肥料使用という「農業の完全な革命」を行なうことによって、人口増加に対応することが可能であるとした。「収奪によって土地から取り去られた植物栄養素の完全な補充が農業の原則」というのがリービッヒの基本的な考えであった。その考えの背景には、すでにイギリスで最も進んでいた資本制農業一略奪農業への批判があった。イギリスでは資本制農業が行われており、農産物は商品化されていて、作物残さは土に返さず都会の下水道から海へ喪失させ、家畜の糞尿は垂れ流しにされることによって有機物を損失させ、その代わりに、グアノや過リン酸石灰を海外から輸入することでミネラルを補充したが、同時に、農産物の国外への輸出によって、ミネラルのイギリス土壌への還流を喪失させていた。リービッヒは有機物の下水道、河川、海への流失を批判し、それらの農地への還流を主張したのである。リービッヒは今日の化学肥料型農業の元祖でもあるが、同時に循環型農業を理論的に展開した元祖でもあった。
2)
『資本論』の草案を大部分書き上げた1864-65年頃、マルクスはリービツヒの見解に共鳴し、リービツヒ近代農業批判の一般理論の経済学的意義を全般的に提起した。」(『経済学と自然哲学』一福冨正実) そのポイントは、「人類世代の永続的諸条件の確保」としての大地、「人間と土地との間の物質代謝の高次な形における再建」、「都市と農村との対立の克服」であり、農業の永続性、工業に対する利点、未来性を暗示した。つまり人間の文明史的視点から大工業が資本主義文明を崩壊に導かざるえないことを洞察していた。マルクスは『資本論』の中で次のように主張する。大工業が科学的意識的技術の応用によって、旧社会の保塁一農民を滅ぼし、彼らを賃労働者に変えるという革命的作用をはたすと同時に、都市へ人口を集中し、社会の革命的変革要素であるプロレタリアートを集積するという革命的な歴史的意味を把握(『資本論』一機械と大工業)した上で、しかし、一方で確立した大工業は、人間労働・人間の自然力を荒廃破滅させ、他方で、大農業は土地の自然力を荒廃破滅させ、後に両者が握手する(同一資本制的地代の発在史)ことになるが、資本主義的農業の進歩とは、農業労働者から略奪する技術の進歩にすぎず、土地から略奪する技術における進歩にすぎない、従ってある与えられた期間の間、土地の豊穣度を高めるためのあらゆる進歩は、実は、土地の豊穣度の持続的源泉を滅ぼすための進歩にすぎないと規定した上で、大地は「永遠の共有財産」であり「人類各世代の実存の再生産のための不可欠」の基盤である、しかし現実には地力の搾取と浪費をしている。その理由は「自然に対してはじめから所有者として対し、自然を人間の所有物として取り扱うブルジョア的自然把握」にあるとマルクスはとらえる。自然を人間の所有物だとするブルジョア的自然観に基づいた資本制的生産が、実は文明の自然的基盤そのものを破壊しているとマルクスは告発する。従って彼は「より高度な経済社会構成体の立場からみれば、地球に対する個々人の私有はちょうど一人の人間のもう一人の人間に対する私有のように馬鹿げたものとして現われるであろう。一つの社会全体でさえも、一つの国でさえも、じつにすべての同時代の社会を一」緒にしたものでさえも、土地の所有者ではないのである、それらはただ土地の占有者であり土地の用益者であるだけであって、それらはよき家父として土地を改良して、次の世代に伝えなければならない」(資本論VOL1,4編、13章10節「大工業と農業」)というように所有様式に関する人間社会の自然との調和への接近方法を提示する。
3)
さらにマルクスは、工業と農業との相違からも、人間社会の自然との調和への接近方法を暗示する。大工業においては「機械などに投下された固定資本はその使用によってよくはならないで、かえって消耗する。新たな発明によって、この場合にも個々の改良を施すことは出来るが、しかし生産力の発展を与えられたものとして前提すれば機械はただ悪くなるばかりである。」(同)それに対して農業においては、「土地は正しく取り扱えば絶えずよくなっていく。以前の投資の利益が失われることなしに、次々に行なわれる投資が利益をもたらすことが出来るという土地の長所は、逐次的諸投資の間に収益の差が生ずる可能性を含んでいる。」(同)ここではマルクスは工業に対する農業の優位性を指摘している点が注目される。文明史的視点からみれば、近代大工業の進歩は文明の基盤である人間力能と自然とを疲弊させることを結果しており、一方、農業は文明の基盤をより確かなものにしうる土台を提供しうる。協同の価値を掲げた生産協同組合、消費協同組合ワーカーズ・コレクティブ、農事組合、NPO、地域通貨などの非資本制的アソシエーションをベースに、農業のみならず工業やサービス業の領域で創造的事業を起こすことによって、人々は意識しようとしまいと社会革命の条件を準備し始めている。商品、貨幣、資本の循環を基盤に成立している「成熟した」今日の資本制社会が、それらのアソシエーションを登場させる諸条件を成熟させている。
6.太陽エネルギー経済(1)
1)
科学技術の発展が労働生産性を著しく引上げ20世紀工業文明をつくりあげたのは、主要なエネルギー資源一石油が特殊に労働生産性の高い物質であったことに起因することはすでにふれた。この石油化学文明のシステムである資本主義の物質的生産カの拡大が、地球環境というシステムの自然的基盤を崩壊させることが明らかになることによって、エネルギー、科学技術、経済システムの革命が日程にのぼっている。
2)
原子力の数1000万度、数億度の温度は、破壊的用途としての原爆、水爆には物理的に「適している」にしても、非破壊的用途一原子力発電に利用する場合、超高温から装置を防衛するための多重な変換装置が必要となり、廃棄物処理と共に資本コストが極度に増大する。また、その安全性に関してはスリーマイル島とチェルノヴイリの事故がすでに証明した。
3)
良質の化石燃料一石油の枯渇と劣質の石化燃料一石炭が地球環境容量に対して過剰に存在し、それらを使用し続けるなら、生物生存条件を破壊するという状況のなかでは、石油を主エネルギーとする工業社会の衰退はさけられない。
4)
ふりそそぐ太陽エネルギーは拡散しており、土地分散的で密度が低すぎるために、今日の巨大工業システムには適合せず、従って集中したエネルギーを獲得しうる石油エネルギーに対抗できない。工業社会に対しては最適エネルギーではないが、太陽エネルギーは、ポストエ業社会では経済システムを支える最重要エネルギーとなるだろ。この太陽エネルギーの直接的産物である林業一農業一水産業とエコ的工業を協同的アソシエーションを基盤に社会システムを想定するなら、エネルギー問題は深刻な問題ではない。太陽光と共に無尽蔵のバイオエネルギーが活用可能なのであるから。
5)
図6は、ワールドウオッチ研究所のシミュレーション(「エネルギー大潮流」)を図式化したものであるが、実現可能性が高いとおもわれる。そのポイントは、2025年までに原子力発電を全世界で全廃、2050年までに石油エネルギー使用全廃、2100年再生可能エネルギーの全面的使用まで過渡的に天然ガスを有効利用することである。
6)
このシミュレーションが現実性をもつためには、以下のような政策が実現されなければならないだろう。a)石油エネルギーの2050年全廃に向けて、そのための実行可能な削減策は、@消費主体である個人の消費を減らす誘導策を与える。A化石燃料によるエネルギー供給者に供給量を減らす誘導策を与える。B再生可能エネルギー供給者に有利な誘導策を与える。具体的には課税によるエネルギー価格操作、C02税、環境税、石油価格の高価格維持、再生可能エネルギーの課税対象免除、SMUD型省エネ発電の普及、DSMの普及。b)原子力発電の2025年全廃。C)石炭の地下での封印。d)天然ガスの過渡的有効利用。e)再生可能エネルギーの量産とコストダウン。f)エネルギー効率のアップ。
7)
人類が太陽エネルギーへの全面的依存を決別し、化石燃料に依存したのは、産業革命の時だが、この太陽エネルギーこそあらゆるエネルギーの中で最も豊富なエネルギーである。地球にふりそそぐその3分の1は、宇宙に反射され、18%は大気に吸収され風を巻き起こす。残りの2分の1は、1990年全世界で人間が使用した全エネルギーの約6000倍に相当する。太陽エネルギーは分散型で、無秩序なエネルギーであり、化学燃料や電気が持つ多面的な機能に欠ける。林業・農業・水産業といった生命産業は、太陽の特性を生かしてシステム化したものであるが、工業システムでは集中的、多面的なエネルギーを必要とするが故に、太陽エネルギーは、二次的エネルギーに転化することによって実用化されてきた。21世紀の社会システムでは、化石燃料に代わって太陽エネルギーと植物を原料とした水素への全面的依存に転換されなければ、恐らく人類の未来はないだろう。工業システムにおいても、太陽エネルギーや水素エネルギーの特性に合わせた工場やオフィスが必要となるし、集中的エネルギーが必要な工業にたいしては、太陽エネルギー集中化の技術が課題となる。
8)
地域自給エネルギーの地域自給システムは、太陽エネルギーの直接的な変換形態の多様な組合せによって可能であろう。海岸、島、半島での風力発電、山間地域での小型水力発電、森林地域でのバイオマス発電、畜産地域でのバイオガス発電、都市居住地域での太陽光発電、工場、オフィス地域での太陽光発電の集中化システムなどの組合わせである。更に、植物からの無尽蔵の水素エネルギー(燃料電池)の広範な自家発電への活用は、急速に化石燃料にとって変わることになるだろう。ところで、エネルギー地域自給計画の前提になるのは巨大都市の解体と田園都市化と工業の「エコ」化であるが、地球環境的要因と資源(希少金属)要因による工業システムの衰退によって、それらは必然化されるであろう。エネルギー地域自給システムが、人々の未来にとって意義あるためには、システムヘの参加がポイントになる。協同組合・市民所有・自治体による風力発電、個人・農協・ワーカーズコレクテイブ・町営によるバイオマス発電、農家・農事組合・町営によるバイオガス発電、個人・協同組合・エコベンチヤー企業による太陽光発電、地域コジェネレーションそれに、これがおそらく主流になるだろうが、植物から無尽蔵に生産できる水素を使った燃料電池発電の各個人、家庭、都市、事業所、工場、農業、工業、サービス業などでの活用を、協同組合や市民事業のようなアソシエーション形態をとって、地域分散型・参加型・自給システムで行うことが未来の方向性であろう。情報の領域で集中型・巨大コンピューターによる巨大統合システムから、分散型、参加型、ネツトワーク型のパソコンやインターネットの方向に人々の欲求があるのと同様に、そのような流れは、もはや、とどめることが出来ない。
図7参照。
7.太陽エネルギー経済(2)
1)
人間労働を媒介として自然を支配することによって、自然から物質とエネルギーを搾取し、工業製品を生産、消費、廃棄する資本制工業は、人間の側からみれば、「物質・エネルギーの秩序化」であるが、自然の側からみれば生産過程−流通過程−消費過程から生じる廃熱一廃物の不可避的な累積の結果、地球の物質系と生態系の破壊として現象しているエントロピー増大、無秩序過程である。
2)
工業に対する農業の優位性は、エントロピーの側からみれば、植物のみが太陽エネルギーを固定することで、エントロピーを大規模かつ効果的に減少させることのできる唯一の生命体であることにその根拠がある。だが、この生命体も素材となる物質が絶えず補給されることによってのみ光合成を持続しうる。その物質とは、太陽エネルギー、水、CO2と根から吸収される無機物質あるいは有機物質であって、その無機物質、有機物質は微生物によっても与えられる。植物の根はその微生物に必要な有機物を与え返す。この土壌を媒介しての植物と微生物との物質交換は、光合成による太陽エネルギーの固定化を通してその量を増大する。その光合成の産物こそ生物生存の前提条件である植物なのであるが、この植物をたべる動物の糞や死骸は微生物によって分解され、無機物や有機物として植物の栄養素に還元される。こうして植物−動物−微生物という生命体の連鎖が成立する。食物連鎖である。
3)
林業、農業、水産業は、この食物連鎖を人間が巧みに人為化したものにすぎない。この食物連鎖・生態系が豊に存在するためには、森林−河川−海の水系の流れの中で土壌が豊になることが必要である。ところで、今日の農業−工業化農業は、主要に化学肥料に依存している。化学肥料は植物生態にたいしては擬似自然物である。塩化ナトリューム99%の化学塩のようなもので、塩といえば塩であるが生命体になじまず、長期的に接種すれば拒否反応を起こし人間は自然塩を求めるように、化学肥料も植物にとってある種の異物であって、生体になじまない要素を体外に排出せざるをえない。それらの排出物を求める虫にたいして農薬が使用される。化学肥料は無機物であり、特殊な微生物を除いて微生物の栄養素ではない。化学肥料の残留強酸と化学農薬によって微生物は生存条件を極度に脅かされているのは微生物だけではない。偉大な地球の耕作者・みみずも生存の危機にひんしている。
4)
化学農法、工業化農業へと有機農業が転換された原因は、社会のシステムが工業中心に変革されたからである。工業が必要とする安価な労働力は、農村の分解による過剰労働者によらねばならなかった。化学肥料、化学農薬、農業機械の使用は、農村への化学資本と機械資本の市場拡大と同時に、農村での余剰労働力の創出を果たした。市場経済の農村への全面的浸透は、工業への農業の全面的依存関係を成立させた。畜産業は農業と分離して都市と直結した。肉牛、乳牛の飼育は専業化され、その結果、有畜農業はほぼ消滅した。地場の林業は工業資本による熱帯雨林、温帯雨林の寒帯雨林の大量伐採と輸入によって成立し得なくなり、森林はあれるにまかされるようになった。林業-農業-畜産業−水産業の連鎖はずたずたにされている。
5)
それでは、再びそれらの連鎖を復活させ、アソシエーションに基づく新たな循環型社会をつくるにはどこから手をつければよいのか。衰退せざるを得ない工業にかわるシステムを準備するにはどこから手をつければよいのか。まず第一に、農業を大工業から分離することである化学肥料と化学農薬に代わる方法をあみだすことである。日本でもすでに自然農法や有機農法が2-3万の農家で先駆的に実践されていて、有機肥料や生物農薬に関するおおくの実績をつんでいる。第二に、地域で農業を畜産業と結合することである。畜産の糞尿は公害のもとにもなり、又産業廃棄物として多くの場合処理されている。だが糞尿を原料として有機堆肥をつくり、農家と提携している畜産業者も現われてきていて、地域でこの提携システムを作っていけば、堆肥の地域自給は可能である。第三に都市の有機系廃棄物、特に生ごみなどを堆肥化することである。山形県長井市のレインボープランをはじめ急速に全国化しつつある。ただ都市のゴミ処理からの発想でなく、長井市のように地域循環システム作りからの発想が不可欠である。更に都市の人糞を堆肥化して、農業地帯に輸送するシステムを作ることによっても、都市を農村に直接結びつけることが出来る。第四に農産物の産直や産消提携や直販で、生産者と消費者を直結するルート作りを基本に直売多チャンネル化をはかり、さらに生産者が生産するだけでなく、流通グループをつくり、大流通機構による支配と中間搾取から脱出する方策をとることができる。第五に田園都市構想のもとに、地域循環型経済システムを可能なかぎり追求することである。例えば貨幣を使用せずに労働を直接交換するLETSシステム(地域経済信託制度)は5000名程度の地域でも、農産物の生産や交換、医療、建築、福祉や日常的サービスや軽工業製品の交換が可能である。すでに世界3000か所で実施されているといわれている。
農業、畜産業、農産加工業、農産・加工の流通、生協、住宅、保険、自動車、印刷、
レストラン、自主金融、リサイクル業、コンピューター、燃料、福祉、海外とのフェアトレード、研究所・・・の業種を共通の価値観―協同の思想の元に協同組合、有限会社形態でアソシエート(協同的連合)することによって、地域循環型のシステムを
作ることが可能だろう。現に70の事業体の連合である「北大阪商工協同組合」はそのような地域循環型システムを構築している。
6)
工業に関しては、農業、林業、牧畜業、水産業を基礎にした工業を地域で再興することから始めうる。「エコ工業化」である。石油製品のほとんどが内分泌掩乱物質である可能性が高く、石油化学産業が人類の生存に対する脅威になろうとしている現在、天然素材が急速に求められようとしている。実際、天然素材製品が石油製品に駆逐されたのは、天然素材が劣っていたからではなく、市場価格競に敗北したからにすぎない。天然素材の使用価値の優位性は注目されてよい。農業は、また、小型機械や農業機械を製造し修理する中小企業を形成する能力をもっている。大工業からの完成品でなく、資材中心に入手した地域中小企業の自立力をたくわえうる。農業は一定地域で畜産業、林業、中小企業と連携することで自立の系を形成する過程を歩むことが出来る。この過程は同時に、その地域の循環経済システムが大工業から独立していく過程でもある。大工業は一部の空間を占めるが、各地域の経済を外部的に補完する位置を持つ。工業が生態系の要請に不断に接近するように、システムを変革することは、不可避であろう。有機物を生産する農業や畜産業の廃棄物を再利用しながら、工業においても廃棄物ゼロ(ゼロ・エミッション)をめざす「農業・工業一体型団地」形成が試みられている。協同に基づく地域循環型経済の自立的運営と管理、中央集権的な大工業よる経済から、生命系にもとずく経済へ移行すること、そのための人々の価値観、科学観、世界観の革命はすでに進んでいるが、その質とスピドと影響力をより急速に増大させることがシステム変革の前提である。循環と協同が、合言葉になるだろう。
8.工業の農業化又は工業のエコシステム化
1)
工業と農業は異なるので、工業を農業に完全に接近させることは不可能だ。しかし、可能な限り接近させることは、生態系の破滅と人類の生存の危機との関係で不可避であろう。
2)
現在、世界的な規模で、資本家階級に二つの流れ一パワーが存在している。−第一は、軍需、航空、石油、鉄鋼、化学、アグリビジネス等多国籍企業一銀行団を中心とする世界権力であり・グローバルスタンダード、メガコンペティションを合言葉に、USA国家権力とを利用しながら生き残り戦略で、自分の姿ににせた世界単一支配を推し進めている。生態系の破滅や人類生存の危機などは、この資本の世界権力の前ではたわごとに等しい。第二は、生態系の破滅や人類の生存の危機をビジネスチャンスととらえ、エコビジネスにチャレンジしているながれである。森林再生、燃料電池発電、太陽光発電・風力発電、省エネ省力機器の開発・リサイクル廃棄物の再利用、エコハウス、近自然工法、超低公害車、などの分野がそれである。
3)
単一の資本の世界権力は、生き残りのために社会に対して「全面戦争」を仕掛けており、生態系と人間にゆゆしい結果を巻き起こしているのだから、「全面戦争」で応えるほかない。多国間投資協定(MAI)や知的所有権に対する戦いはその一例である。第二のエコビジネスの流れは今後資本の本流になるだろう。だがこの流れも資本による労働の支配・資本主義の根幹を変革するものではない。すでに世界のさまざまなところで台頭しているが、資本による労働の支配でなく、労働による資本の支配システムをつくりあげる運動体一事業体の形成が、資本主義に代わるシステムを準備するものとして不可欠である。生産協同組合、消費協同組合、農業協同組合・農事組合・ワーカーズコレクティヴは、労働者の出資による協同組合事業体である。またアメリカで台頭している倒産企業を引き受けた労働者持株会社、、NPO(非営利事業体)などは、協同組合とともに、事実上、労働による資本のコントロール下にある事業体で、多国籍企業支配下の世界単一権力に対抗して、これらの事業体は資本主義に代わる文明の人間的基盤の準備と自然的基盤の防衛者として、また生命系の創造的文化発信基地として登場することが出来る。工場や大企業に働きにいかなくても、自分たちの手で協同のエコ的事業体をおこし、自分たちの手でもう一つの働き方、労働のありかたをつくりあげることが出来る。
4)
工業の農業化又は工業のエコ化
「工業の農業化」とは、@「工業製品の農業化」―工業製品、エネルギー、医薬品を農林漁業資源(バイオマス)を原料にしての工業製品の生産。A「生産の農業化」―生物や微生物に工業的有用物質を生産させる。B「公共事業の農業化」−鉄やコンクリートによるダムや排水路を森林や土壌や微生物による保水や水質浄化を行う、などが、現在のところ考えられる。
@の「工業製品の農業化」に関しては、植物デンプンから乳酸を合成し、プラスティック生産したり、スイートソルガムからアルコールを取り、ナフサ化してプラスティックを生産する大規模な「バイオ・プラスティック化」。あの有用なプラスティックを植物デンプンから作るのである。また、スイートソルガムなど植物液を微生物発酵させてアルコールを取り、燃料やガソリンの代替として使用する「緑の油田」。農業が石油に代わるバイオ・エネルギーをになおうというわけである。これらは実際、すでに実用化、事業化段階に入っている。21世紀の中葉までに、エネルギーと化学製品の50%を植物系で生産することは、可能だろう。Aの「生産の農業化」に関しては、微生物や酵素などの生体触媒を固定化、高密度化し、そこに植物などを通貨させることによってエタノール化などを連続生産させるバイオリアクターが注目されている。この生産過程は常温状圧の生産過程で可能なので、高温、高圧の石油化学の合成方で作られていたものをバイオリアクターで代替することが出来るといわれていて、実験段階にある。Bの「公共事業の農業化」に関しては、鉄やコンクリートによって水系を切断し、その結果、生態系を切断している巨大ダムに換えて、森林、土壌、水田、微生物で「緑のダム」を万全にし、水質を浄化し、洪水や土砂流出を防止することである。また、鉄とコンクリートで固めた排水施設は、河川や湖を汚染し、その結果生物の多様性を破壊している。土壌微生物による水質浄化、アシなど水生植物による湖水浄化、海藻による海水浄化に買えることによってコンクリート管を撤去することが出来る。((「21世紀を「工業の農業化」による平和の世紀に」(「現代農業」特別号参照)
5)
現在、工場や株式会社で働いている労働者は、労働過程における労働条件改善を基本にした労働組合運動だけでなく、生態系と人類生存の危機という視点から資本と社会にたいするたたかいをとらえ返してみてはどうだろうか。例えば、資本がやろうとしているISO14000(環境マネージメントシステム)やグリーンプロセスやゼロエミッション(廃棄物ゼロ)などを徹底的に推し進めること。それらの主導権を労働の側がとることである。そしてある条件のもとでは、企業の根本理念と事業の変革にまでもっていくことである。労働者のたたかいで、軍需産業を平和産業の事業体にまで変革したイギリスのルーカスの労働者のように。
そしてさらに、そのような企業内の闘いよりも有利なポジションから、労働者は、消費者・生活者として創造的で有効な闘い方が考えられるのではないか。例えば遺伝子組み換え食品をボイコットし、有機農産物を購入することによって、巨大アグリビジネスの農業支配、種子支配に対抗する闘いに参加することが出来る。住宅建設においても、大資本の提供する建売住宅の購入ではなく、価値を共有する人達との協同住宅を建設することでことオルタナティヴな住まい作りに参加できる。食料品もスーパーからの購入ではなく、生協や大地など、又は直接有機生産者との産直でもう一つの流通形態に参加できる。福祉に関しても地域でニーズを同じくする人たちのネットワークの中から福祉生協や医療生協を作ることもできる。また様々な地域で広がっている地域通貨は、コミュニケーションのツールとして斬新であり、生活上のお互いのこまごまとした要求や労働の交換の場としても有用であるばかりか、福祉、医療、リサイクル、住宅、農業などの領域で、労働者が仲間と新規に事業体を立ち上げた場合、相互扶助の手段、商品交換の場としても開かれた可能性を秘めている。
資本が提供してくる環境破壊的、非循環的、非人間的な商品をボイコットし、エコ的、循環的、人間的な有用製品やサービスを購入したり、協同の事業体を起こすことによって生活に真に必要なオルタナティブな製品やサービスを生産し流通させることに挑戦してもよいのではないか。「工業の農業化・エコ化」はそのような人々の支援と参加を必要としている。
9.農の21世紀システム(図8参照)
1)
21世紀の前半までに、つまり、これから二世代の間に、社会システムを革命すると仮定してみるとしよう。21世紀前半に天然ガスを除く化石燃料の使用は、地球環境的生態的要因によって不可能になっているだろう。また、工業を支えている希少金属の枯渇は、現実のものになっているだろう。それらの外的要因からも、現在の資本主義的工業システムの衰退は、決定的になっているだろう。他方、生態系一自然システムと人間自身の自然システム(生理的)も又石油化学文明の結果衰退しているだろう。内分泌擬乱物質による生殖能力の減退や、人類の天敵一ビールスヘの対応能力(免疫力)の衰退の結果、二世代後の人類は生存の危機に文字通り直面するだろうとおもわれる。
2)
そうした危機脱出のためにも、21世紀前半までに、人類は生態系の物質循環を基礎とする自然システムと可能な限り調和できる社会システムを作り上げること、具体的には、協同組合的連合に基づく地域循環型の社会システムのトランスナショナルーグローバルなネットワークを、人間の生存基盤にしていくことが最重要な課題になるだろう。新しい社会経済システムを実現化していくためには、第一に、生命、環境、循環、協同、地域をキーワードとした文化発信型社会運動の展開が、第二に、労働が資本をコントロールするさまざまな非資本制的協同組合、NPO、ワーカーズコレクティブ、市民企業などの事業体としての運動展開が、第三に、個人の生き方としても、協同組合、市民企業、ワーカーズコレクディヴ、NPOを設立したり、そこで働いたりする中で労働のありかたを変える生活のスタイルの転換が、第四に労働の直接交換システムとでも言うべきLETSシステムのような地域通貨の実験が、課題であろう。
3)
構築すべき協同的連合に基づく地域循環型の社会経済システムから考えて、その基本的要素である農業については、どのようなスケッチを描けるだろうか。
具体的に農の21世紀システムを概括してみよう。
a)石油化学工業の廃止とエコ工業化。ゼロエミッション化(廃棄物ゼロ)、バイオ・プラスティック工業、バイオエネルギー(「緑の油田」)生産。天然原料、天然鉱物、太陽光・バイオエネルギーに沿った工業。
b)石油エネルギーの廃止と太陽・水素エネルギーへの移行。水素(燃料電池発電)、小型水力、太陽光、風力、、バイオマス、バイオガスをメインにしたエネルギー地域供給システム。
c)工業化農業の廃止と有機農業へ全面的移行。有機肥料、生物農業、微生物−小動物の活用、都市と農村との人糞パイプライン、生ごみの堆肥資料化、輪作多品種作付体系、種子の自家搾取、種子バンク。
d)単作モノカルチャー農業から地域循環型農業へ。産消提携、産直の拡大、プロシューマ―、農業グループによる生産−加工−流通の一貫システムの形成、食糧の地域自給を基本としたシステムの形成。
e)工業原料の生産基地としての農村化。植物デンプンからのプラスティック製造、植物アルコールからの「緑の油田」、石油製品の天然素材への切り替えにともなう木材、紙、羊毛、綿、天然ゴム、陶器、皮、炭、微生物などの生産。
f)都市型工業型ライフスタイルから、田園都市型生命地域型ライフスタイルへの移行。半農半Xライフスタイルへの移行による仕事と遊びの近接。超高齢化社会への対応策=定年帰農。青年帰農。「社会的弱者」の精神的崩壊に対する太陽、水、大気、森林、海、土、植物、微生物の限りない癒し。福祉と農業の結合。協同的相互扶助住宅。
g)コンピューター付き地域循環型社会のためのトランスナショナルなグローバルネットワーク。地球環境と生物−人間の生存の危機の進行は、ボディーブローのようにじわじわとききめを表して、人間の世界観や価値観に大きな影響をもたらしている。貨幣を紙の座に押上げた資本主義的価値観は、特に若い世代を一面的に捕らえているが、他方では、地球環境と生命の危機の原因が、実は、貨幣を神に座に押上げたシステムとその価値観であることに気づいた人々をも、急速に生み出している。生命への本源的危機感は、地球と生命をキーワードとする価値観を多様にうみだしている。従来の化学農法から有機農法に転換した農家たちのキーワーは、生命である。また、都市で産消提携や産直運動に参加する市民の多くのキーワードも、生命である。生命とはその場合、具体的には生命力有る安全な農作物、生産者と消費者の健康であり、百姓達と市民の直接的結合である。有機農業を展開する百姓達と、それを支援する都市市民達は、農村地域でこの数十年間パワーをつけてきた。家族農業のみならず、有機農業運動を事業体として展開するグループは、地域をかえつつある。だが、それらの事業体の成長発展を自己目的にすると、落とし穴におちこむかもしれない。資本主義との競争に目を奪われるのみならず、価格競争戦の中で、運動の原動力である人間と人間との直接の結合一対話的コミュニケーションや文化的価値創造力と、その発信基地としてのエネルギーを減退させられるからである。これらの事業体は、価値創造的文化発信基地、人間間の共振共鳴の価値発信基地と交流の場である。新たな文化圏を地域システムとして創造し、地域の経済圏創造の車輪をまわしていくことによって人々の地域参加と共同行動の媒体となりうる。
世界に目を転じれば、工業諸国では、ビアカンペシーナ(農民の道)、生命地域主義グローバルネットワーク、パーマカルチュアムーヴメント、IFOAM(世界有機農業運動連盟)、地域通貨・LETSシステム、世界協同組合運動、ワーカー一ズコレクティヴ、NPOなど特徴ある運動が胎動している。それらは、地域での人々の連合した自律的パワー創造の運動としてみることも出来る。
いわゆる途上国でも、ラテンアメリカの基礎共同体運動のように、またメキシコでのサパティスタの地方権力創造の運動のように、貨幣を神とする資本主義的価値観を批判した価値創造的運動を媒介した社会革命運動が、顕著に現われている。農の21世紀システムは、社会革命運動の物質的基盤を提供する。
衰退する工業的資本主義に代わる、協同組合的地域循環社会は、多様な価値創造の爆発によって触発されている。
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